アウトプットしていこうと思ったのが1月。1ヶ月に1本はなにか書きたいと思っていたが、あっという間に学生生活最後の春休みは過ぎて、社会人になってしまった(あっという間に過ぎたのは これで最後だと思っていたから だったはずだ)。
社会人生活も2週間が過ぎて落ち着いたのに加え、個人的言語化ブームになっているのでいいタイミングだと感じて本稿を書いている。明日も出社なのだが、アウトプット欲が溢れすぎているため、寝る間を惜しんで読書感想文を書こうと思う。
『暇と退屈の倫理学』
これを読み終わったのは2/19なので、正直多くの内容は忘れてしまった。しかし、私の暇な大学生活において、もっと早くに読んでおけばよかったと感じた1冊であったことは確かである。
この本の結論は至ってシンプルだ。
「人間であること」を楽しむことで、「動物になること」を待ち構えることができるようになる。
本の内容を知らないと何を言っているのかピンとこない思うが、筆者曰くこれが「どうしても退屈してしまう人間の生とどう向き合っていくか」という問いに対する答えである。
以下に雑だが図を描いてみた。
人間は上に示したループを延々と回り続ける。このループには人間的な状態と動物的な状態が存在するが、いずれかにとどまり続けることはできない。なぜならそれぞれの状態は正の側面と負の側面を持ち、時間とともに状態を遷移させる圧力が発生するからである。
① 環世界の破壊と創造
退屈な気分を紛らわす唯一の方法は、何かに夢中になることである。
② 動物であること
しかし、何かに夢中になることは、何かにとらわれることでもある。時間にとらわれる人生、仕事にとらわれる人生、お金にとらわれる人生、それこそ退屈ではないだろうか。
③ 無意識の快原理
そして何かに夢中になっても、退屈への対処法として長続きはしない。夢中になって取り組んだことは、やがて日常や習慣に変化する。そのように興奮量を抑えることが人間の本能(快感)だからだ。
④ 人間であること
そうして戻ってきた人間としての日常には、ふとした時に退屈が立ち上ってくる。「なんとなく退屈だ」という気分は、避けることもできなければ予測することもできない。
このようなサイクルを様々な時間軸にまたがって営んでいくのが人生であり、退屈を知らずに突っ走ることもできなければ、何にもとらわれずに平穏な日常を過ごすこともできないのだ。
したがって、退屈への対処法は、このサイクルをよりよく過ごすことにある。それがまさに筆者の結論であるところの「④人間であること」を楽しみ、「②動物になること」を待ち構えることである。
人間であることを楽しむとは、日常の中に楽しみを見出すことである。誰かに与えられた価値観ではなく、自分がいいと思ったものを楽しむ。これには教養も訓練も必要だが、まずは自分から求めなければならない。楽しいことをやるのではない、やることを楽しむのだ。
動物になることを待ち構えるとは、自分が熱中する対象を吟味することである。人それぞれ好きな食べ物や嫌いな食べ物があるように、人によって熱中できる対象は異なる。その対象に出会うのは、余裕のある人間らしい生活の中から楽しみを見出し、本来エネルギーを必要とする「思考」がとめどなく流れてくる瞬間である。
そのとき思考を止めてしまうことがないように、待つ、そして受け容れる。そうして夢中になる体験を積み重ねることが、豊かな人生を送るための鍵なのである。