突然だが、私は2024年3月31日をもって死にたいと考えている。
まぁ、とは言っても実際に死ぬつもりなわけではなく、そう考えることである種の締切効果を得ようとしているだけだ。
3月31日は私が学生という身分を卒業する日である。
大学生のうちにやり残したことは全部やっておこうと考えたときに、思いついたのがこの方法だった。
感謝
死を意識すると、真っ先に出てくるのはやっぱり「感謝」。
あんまり書くと長くなるので、それは最後に書くとして、こうした文章をネット上にでも残しておこうという気分になるのも死を意識しているからだろうか。
人生の節目
私たちは自然と、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と人生に区切りを設けている。
この役割は結構大きい。
人間関係のリセットと再構築はこのタイミングだし、コンフォートゾーンを抜けて成長する機会が全員に用意されている。
でも、大学のあとの区切りってなんだ?退職?
大学―――退職の間長すぎんか笑
ということで、社会人になったら意識的に自分の人生の節目を作っていった方がいいのだろう。
個人的に、3〜4年というのは妥当な数字であるように思う。
1万時間の法則に則れば、毎日7時間ほど一つのことに没頭すれば、4年で何かしらの専門家になることができるからである。
スティーブ・ジョブズに代表されるように、「毎日人生最後の日だと思って生きろ」みたいな格言はけっこうあるが、個人的にそれはしんどい。
3〜4年ぐらいのスパンで死ぬ予定(?)を設けるといい感じのモチベで生きていけるような気がした。
感謝
お父さん、おれを自由に育ててくれてありがとう。立場上いろいろ言いたいこともあったかもしれないけど、ずっと見守ってくれてありがとう。忙しいのに毎週のようにサッカーとか野球とか連れてってもらえて、幸せだった。
お母さん、毎日ごはん作ってくれてありがとう。ろくに家事も手伝わない息子でごめんね。楽しいときも、つらいときも、どんな話もそのでっかい愛で受け止めてくれてありがとう。
兄貴が大学生になってはじめて、兄貴が家にいないと寂しいことに気づいた。いつも家族を笑顔にしてくれてありがとう。
坊より