可能性を諦めることが大人になるということでいうと、可能性をずっと追い続けている売り切れていない芸人やバンドマンは子供なんだろうか。芸能に触れている人にかかわらず、特に何にも秀でていない普通の人でも自分の中の可能性を諦めていない人っていうのは子供なんだろうか。
かくいう自分も自分にどんな可能性があるのか分かってもいないのに、なんだか少しだけでも頭の中で想像した将来だったり、自分だったりにいつか近づけるとか思っている。
そして、どうせ叶わないだろうっていう諦め癖もついている。だけど、また可能性に賭けている。
そんな中途半端を延々と続けて人の一生が終わることなんてざらにあることなんだろうか。よく結婚をすると落ち着くなんて言う。自分よりも優先すべきものが増える。自分よりも大切にしたい存在が増える。
そういったことで、自分が思っていたことややりたいと考えていたことが1番じゃなくなったというのは諦めてるのとはちょっと違う気もする。
諦めるというよりかは自分の人生がシフトチェンジしたような。そんな感じなんだろうか。身近な友達でママになったパパになったっていうことを聞くと本当にすごいことだなと思うし、自分よりずっと立派だなと感じる。
小さい頃から1つのことずっと続けている人なんかもすごいと思うし、立派だななんて感じる。自分のやりたいこと、人生をかけてやらないといけないというような使命感を子供の時に抱いている、見つけているのは大人だと思う。
って思ってるってことはやはり自分は諦めきれずに、ああでもないこうでもないと手を出しては辞めてを繰り返している人ってのは子供だなぁって感じてるってことなのか。
でもやりたくない仕事や妥協しなければいけない事情で今に落ち着いてる人やそういった経験を経ているであろうこの世の中の大勢が大人って呼ばれている人たち。違うのかな。
そういう自分を受け入れること、覚悟をすることが大人なのかな。そういうのが大人っていうなら、自分には当分この人生ではできなさそうだ。
たとえ自分で選んできた道が新卒カードを無駄にしたって、親孝行がろくにできていなくたって、ずっとしゃがんだ状態からなかなかジャンプできる日がやってこないって絶望していたって、どうにかよくなる、芽は枯れていないと思って生き続けているほうが
「大人というのはこうですよ」
って言われたときにいやだなぁって思わなくて済んだかもって思う。
結局何も実を結ばなかったら悔むしかないのかもだけれど、一生をかけて自分のために自分を信じることもアリな人生なのかも。
何者かになれるまで何者でもないまま生き続けるのもアリなのかも。諦めないってことは限られた誰かにしか与えられないような特権ではないのだし。
たとえ子供の時から続けていることがない人だって、日の目を浴びるまで努力をし続けられる才能がなくたって、諦めないでいろんなことを掻い摘んでいった先に何かを掴むかもしれない。
だから諦めることが大人なのであれば、自分はずっと子供でいたいと思う。