忘れられない夢がある。
いわゆる、『体調が悪いときに見る夢』だ。
ピアノが登場する。ピアノしか登場しない。
「私」はいない。空中に視点としてだけ存在している。
ピアノだけなせいで、そのサイズ感は分からない。けれどやけに巨大に感じる。
私はそれが怖いのだ。ピアノそのものと、その音が。
弾き手はいない。けれど鍵盤は独りでに下がり(それは別に怖くない)、音がなる。
一番低いドの音。2オクターブ高いドの音。
次は一番低いミの音、2オクターブ高いミの音。
そんなふうに、低と高を行き来しながら、全体的に音は高い方に近づいていく。
一番高い音に触れてしまったらおしまいだ、と思う。
思い出すのは、絞首台だ。
首を括るために階段を上がるように(本当に階段があるのだろうか、創作上の話かもしれない。私は創作上の話しか知らないので、それを正として思い出している)、階段を上りきってしまったらおしまいなように、高い音に触れたらおしまいなのだ。
私は段々上がる音に怯え、しかし視点としてしか存在し得ないために怯えることしかできない。
そんな夢だ。
大したものではない。具合の悪いときの夢なんて大概そんなものだと思う。何度も何度もみて、忘れられないだけだ。
思うに、私はピアノが好きではないのだ。
8年習っていたが、楽しかったことはない。楽譜読めなかったし。♩.⇽何だこの点は!?
やめて好き勝手弾いていたときがいちばん楽しかった。
だからなのだろう。夢に出てくるピアノはご立派なグランドピアノではなく、アップライトの電子ピアノだ。……今も家のリビングに鎮座して物置になってる。
まあ、近頃はそんな夢もみない。助かる。
そろそろ幼少期のトラウマじみたピアノ嫌いを克服したからか、大人になってあまり体調を崩さなくなったからか、それはようとして知れない。
私は変な夢は本当にマジで嫌いだった。
しかし、夢から覚めたあと、寝汗でビチャビチャになりながら支離滅裂な説明をする私を、台所の食器棚の前で屈んで抱きしめて撫でてくれた母の姿は、そのようなことは、とても好きだったと思う。