イスラーム映画祭に行った。ぶっ続けで3本の映画を観た。本当はもっといろいろ観たかったけど、スケジュールと体力の限界と相談したらこうなった。以前来た時も思ったけれど、イスラーム映画祭は最高濃度の東京を感じる。東京ってこういうことだな、と思う。地の果ての、異国の、戦争・移民・信仰の問題を、自分たちの立つ場所と地続きだと信じている人がこれだけいて、映画館がいっぱいになる。普段わたしが会社で見かける人たちとはずいぶん違う身なりとオーラを纏った人が、「こんなにどこにいた?!」っていうくらい集まる。映画館から一歩出て、ばかみたいな人混みの道玄坂を歩くと、「今日の飲み会はあほほど飲む要員として来てるから」「こないだの、俺だったら救急車呼んだね~」みたいなあほ大学生の会話が聞こえてくる。ここまで全部東京。
わたしは、希望と絶望がないまぜになった都市に生きている。
主宰がパンフのまえがきに書いていた言葉が心に残る。「パレスチナにしても、シリアにしても、あるいは映画館の存続にしても、一時気にしたことは忘れない努力をするというのも、私たちがとかく陥りやすい『流される』ことへの抵抗だと思います」。この2024年にもこんなにも非人道的な戦争犯罪が起きていること、世界の誰かが居場所を感じられていないこと、ぼおっと生きていたら気づかないけれど、無知を知るところからわたしの一歩は始まる。平和ボケした東京から、遠き彼方の国を想像する。そこで生きる人を想像する。