「残業、ひどいときは100時間くらいしてるんですけど、45時間しか申請できないんです。でも、そういうもんかな~と思って。上司はいい人だし。楽しい時もあるんですよ、っていうか残業申請できないこと以外は楽しくて」
と、言う後輩にまた出会ってしまった。心を痛めてしまう。
こんなに労働に対して革命意識を燃やしているわたし(?)のまわりでも、意外とこういうことを言う人は周りに多い。大学院の仲良しの同期もこういうタイプだった。そしていつも思う。「それってDV彼氏と別れられない人が言っていることと同じだよ?!!」
残業時間の不適正な申告はそれだけで労働者失格だ、とランチに居合わせた後輩が叱責していて、深く深く同意した。そんなよくわからない上司のよくわからない圧になど負けてはならない。自分を安売りしてはならない。
勉強になるから残業してしまう、まだ若いからたくさん学びたくて残業してしまう、頑張っていると楽しいから残業してしまう、全部結構。だけどちゃんと対価をもらおうね、ということだ。残業の規制わたしたちが自分たちの時間を安売りすると、次の世代もまた安売りを押し付けられかねない。自分の健康を損なわない範囲で、さまざまな人の健康を損なわないための法律に守られた範囲で、存分に働いてよいから、せめてちゃんとあなたの価値分の対価を手に入れてほしい。
そして次にわたしが言うことはいつも同じだ。「声を上げたほうがいい。絶対に上げたほうがいいけれど、ひとりで上げなくていい。仲間をつくろう。」これはわたしがわたしの問題で戦っているときに、大好きだった人にかけてもらった言葉で、ずっと大事にしている。大きな敵に、権力勾配のある関係性に、立ち向かおうとするとき、どうしても心労は大きいし、そのあとのことも考えてしまうし、失敗するとつらいだろう。だけど、自分の現在と未来の誰かのために戦ってくれる人は周りにもいる。同じ問題に関心がある人もいる。同じような境遇にある人だっているだろう。仲間をつくること、それがどれだけ力強いことなのか。
わたしは他人で、その問題の当事者ではないけれど、いつでも連帯する気持ちはできている。わたしの好きな人たちの存在が、その価値が、擦り減らないように、いつでも手を取りたい。