たとえば好きなクイズの話をしようよ

I2K文庫
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「オジサン」とはある種の蔑称だと思うけれど、そのなかにもいろいろあるよな、というのがこの「オジサン」9割の職場で経験した実感である。若くても「オジサン」はいるし、若くなくてももちろん「オジサン」はいる。そして、若くないし「おじさん」ではあるけど「オジサン」ではないかな、みたいな人もいる。

世間一般でいうと、「とにかく自分語りをする人」「自慢・武勇伝ばかりする人」というのは嫌われる典型だと思う。しかしながら、わたしの個人の観点からいわせるとそれを上回って「自分の話をなんにもしないおじさん」のほうが嫌いだ。「自分の話をなんにもしない」「他者の表層的な話だけでその場を濁す」「保守的」「何を投げかけてもそつがない応答しか得られない」人のことを本当につまらないと思う。

では、どういう人がいいかというと、「どのように世界を面白がっているか」とか「どういう社会に怒りを感じるか」とかそういう自分の「感情」を発端に話をしてくれる人のように思う。「事実」とか「情報」とか「他人の人間関係」とか大いに結構だけど、自分の「感情」の話ができる人にはずっと温度があってテクスチャ―があって親近感を覚える。

ステレオタイプ的にゴルフの話だとか昔の飲み会の失敗の話とかしていると本当につまらん、と思うけれど、昨日は「昔アタック25で面白いと思った問題の話」とか「最近『不適切にもほどがある!』を観ている話」とか「スプツニ子!に感銘を受けた話」とかが聞けて、よかった。面白いと思ったクイズの話がとても豊かであることは、わたしはQuizKnockから学んだ。そのおじさんの面白いと思ったポイントが(あまりのジェネレーションギャップによって)ほとんど理解できなかったとしても、「こういうのを面白いと思う人である」という情報がわたしにインプットされた。

わたしは大事な友人たちに対して「他の誰かではないいま目の前の『あなた』の話を聞きたい」と思うことが多いし、そういうことができる人との関係を長く保ってきたけれど、実はそれはおじさんに対しても同じなのだろうと、思ったのだった。

@itk
懲りずに日記 体裁を整えることより大事なことがある