労働所感 2024年4月時点

I2K文庫
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タスクが過多になって、溺れている。メンタルの大不調(だいたい風邪をひくのと同時にやってくる)。体の不調は心の不調、心の不調は体の不調。

なにが一番問題かというと、「タスクが過多であることを言い出せない」というところなのだと思う。わたしが音を上げてもわたしの代わりに仕事をしてくれる人がいないように見える(実際にはいるのだろうが)。たぶんだけど、倒れて見せたらだれか代わりの人間が連れてこられるけど、倒れていないから代わりの人材は用意されていない。「代わり」というか、わたしが欲しいのは協働者なんだけど。

上司は上司でいっぱいいっぱいなのだと思う。自分のところに降ってくるタスクを、さばきまくって、わたしのところに降らせるのが仕事。よく分かる。わたしのタスクがたぷたぷになって溢れだしていることも知っているし、全然手が回っていないことも気づいていると思うけど、どうすることもできないのだろう。お互いに余裕がない。

自分のキャパがもっと大きければなあ、と思うし、他所の人はこれくらいの仕事を何の気なしにできてるんじゃないかなあ、とも思うけど、同時に他人との比較が何の意味もないことも知っている。だけど結局、わたしは、「こんなに仕事できません」「無理です」と言ったことによって見くびられるのが怖いんだろう。自分自身がその比較の呪縛から逃れられていない。

とりあえず社内の相談室に申し込んだ。友人が相談に行って「よかったよ~」と言っていたので参考にした。誰かが行ったことのある場所だと思うと急にハードルが下がる。歯医者に行くみたいに、眼科に行くみたいに、定期健診くらいの感覚で精神のメンテナンスをしたほうがいい。もっと気軽にケアをしようよ、と言い合っている。

とかく自分が無価値に思える環境はよくない。よくなさすぎる。わたしが任されている担当プロジェクト以外にも自主コンペだとかアイデアソンだとか、やたらめったらお金にならないよその部署の仕事に手を出してしまうのは、自分の無価値さを取り繕うためなのだと思う。「モチベーションがあってすごいね」とか「向上心だね」とか言われるけど、たぶん違う。逃げ出したい気持ちと、そうでもしないと溺れ切ってしまうから、という理由だ。もういっぱいいっぱいなのに、また無理をしてしまう。

こんなネガティブなこと書いてどうする、という思いもあるが、こういうこそ書き残しておくべきだとも思う。感情は消えて忘れてしまうから。いつか読み返したときに、あんなふうに思っていたけど今はマシだな、とか、今の方がもっとつらいじゃん...とか、いろいろ役立つ。この世界には「自分自身の感情」を書き記した書物はないから、自分で書くしかないのだ。

あとまあ、書くとだいぶ楽になるよね、ということもある。

@itk
懲りずに日記 体裁を整えることより大事なことがある