青春なんて食前・食中・食後どこで食ってもええですからね

I2K文庫
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会社の同期たちと定時後にディズニーランドに行くという遊びを覚えた。金曜日の夜。

わたしはなかなかに斜に構えた学生だったので、「なかよしグループでディズニー行こうよ」みたいな営みに頑なにNOを突きつけて中高生活を送ってきた。全員が同じくらいに仲がいいわけではなく、個々の仲の良さが編み込まれることによってなんとかかたちを保っている「なかよしグループ」と適度な距離を保っていたかった。丸一日ずっと一緒にいて、100分も200分も乗り物を待って、他愛もない話で間を繋いで、大抵はお互い知っている人たちの話や時折ゴシップでその場を凌いで......みたいなことにあまり意味を感じられていなかった。行ったら行ったで楽しいのはわかっているけど、みんなで同じグッズを買わなければならないこととか、おんなじように楽しい顔をしなければならないこととか、本当は違うことに使いたかった時間のことを考えてしまったりとか、邪念もすごく多くて、とにかくわたしには向いていなそうなものとして捉えていた。

だけど、ようやく大人になって、そういう、純粋にキャッキャする青春の楽しみ方みたいなのが分かるようになってきた。もしくは、自分の深いところにある話題を交わせるような「深い友人関係」だけでなく、日々ちょっとした挨拶を交わせる関係や自分からは熱心に連絡を取らないけれど会って話すと楽しい関係とか、このコミュニティを抜けたらもう会うこともないかもしれないけれど時々はきっと思い出すだろうなというような関係とか、あらゆる人間関係のバリエーションに目を向けられるようになり、それぞれに慈しみを感じるようになった、というのもあるかもしれない。

とにかく、大人になって、変な気負いみたいなものがなくなってきた。自分で自分のことがわかるようになって、あんまり誤魔化す必要もなくなって、他人に嫌われてもそれはそれ、と思えるようになって、あらゆる深度の人間関係が自分を助けてくれるということがわかってきて、それでようやく「はしゃいでいる自分」みたいなものを深い関係ではない友達の前にも曝け出せるようになってきた。自分の自信によって、自分にまとわりつくイメージみたいなものを軽々と乗り越えていける。

ディズニーランドの場による楽しみはもちろんあるけれど、「ディズニーランドというものを屈託なく楽しめるようになった自分」を楽しんでいるというところも十二分にある。そういうわけで、現在わたしは、ひねくれた過去の自分によって失われた青春を取り戻している真っ只中である。

@itk
懲りずに日記 体裁を整えることより大事なことがある