再び文春報が炸裂した。芸能界、お笑い界に引き続き、次はサッカー界だ。
文春報が取り上げるスキャンダルには一定の法則がある。そこに金があるかどうかだ。もう少し突っ込むと、金が集まる場所にこそたかってくる。
文春に振り回されるのは好きじゃないし、ワイドショーの一般的見解があたかも一定の基準でそこに同調し洗脳されたような考えで生きるのは好きじゃない。要は、自分の肌感で判断したくて、世の中の大多数がこう考えてるからこれが一般的だ、なんて考えは好きじゃないし、そういうふうには生きたくない。
本題に入ろう。未練の正体とはなんなのか。そもそも未練とは何か。グーグルによると、「あきらめ切れないこと。」らしい。
言葉の定義は大事だ。単語のニュアンスで自分の感情をそこにあてはめるのは、正確に自分の気持ちを捉えてないので、いずれ誤魔化しのしっぺ返しがくる。そういうのは、本当に面倒くさい。
今、私は確かに、「未練」という言葉に向き合ってる。良いのか悪いのかはよくわからない。人間的でもあると思う一方で、メンタル不安定なの?って確かに思う。
「未練」とは何なのか?この疑問に対する解はまずでない。どの年代になっても、どの人生のフェーズでも、絶対に繰り返さられる問いです。しかしながら、物書きである以上、言語化と向き合わなければならない。
自分なりの解釈は以下の通り。--
未練とは、到達できなかった後悔の念と行動力の欠落に比例する。
おやすみなさい