年が明けて、間もなく1ヶ月が経つ。能登半島地震から始まった2024年。その翌日には、日本航空の旅客機と海上保安庁機の衝突事故。毎年何もなかった平穏なお正月とは打って変わって、落ち着かない現実からのはじまりだ。極めつけは、松本人志の文春報。もはや、年明け早々にも関わらず、私は現代社会に疲弊困憊している。
普段テレビを見ないので、報道番組やワイドショーがどれだけ盛り上がりをみせたのかは知らない。と言うより、世論や世間一般の価値観にまったく興味がない。私は私の価値観にしか興味がないし、じゃあ、その価値がどこではぐくまれたのかというと、1990年代で、小室ファミリー全盛期を小学校6年生の思春期真っただ中で聴いた。「You are the One」は、いまだに自分にとって名曲だ。
文春報が嫌いだ。今回の松本人志の一件は、この記事を書くモチベーションの一角に過ぎない。週刊誌は売れるために、あの手この手を尽くす。マスメディアとはそういうモノだ。ジャニーズの件もそうだ。いままで好きで応援していたはずなのに、世論がバッシングの風潮になると、自身の意見もなんとなくそっちになびく。ジャニーズが好き、だなんて公には言えない。言えないのは自分の意志ではなく、世論がそういう風潮だからだ。「自粛」という最近世間でよく流行っている単語に従うのがあたかも正義かのように解釈してしまう。一種の洗脳であって、この生態系の真実ではない。現代人は、理性で生き過ぎている。
個人的に比較的大きなショックに見舞われた。まさかこんな結末になるとは考えていなかったし、予想もしていなかった。しかしながら、人間とは極限まで尽くし過ぎると、防衛本能からなのか、現実を拒否するという能力を持ち合わせている。これが、良いことなのか、良くないことなのかはよくわからない。しかし、もはや理性では理解できない捉えきれない現実は、本能で判断するようプログラムされているのが人間なんだと最近つくづく思う。加えて、我慢する必要がどのあたりにあるのかは議論する余地はない。
2月は寒い。冬の時期だから当たり前だ。その通りだ。でも、どこかでその季節の特徴を捉えられない自分がいる。2月は寒いから家に居よう、3月の後半から暖かくなるから旅行の準備を整えよう、4月になったら桜を見に行こう、みたいな感覚がまるで自分には無い。人間的な情緒に浸る感覚は、自分自身がこの世を渡り歩く過程の中で捨て去ってきてしまったのかもしれない。寂しい人生だ、と自分自身でも客観的にそう思う。
じゃあ、なぜそうなったのか。今日はこの辺で切り上げましょう。物語はまだ続く。誰かがあきらめない限りずっと続く。