日記を書く

岩崎さとし
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当初考えていたのとまったく違った体験だった。

今年1月から「日記屋 月日」主催のワークショップ「日記をつける三ヶ月」に参加した。ファシリテーターは、古賀及子さん。

ワークショップ(以後WS)は隔週で全6回あり、ぼんやりと「日記の書き方のこつ」のようなものを教えてもらえるのだろうと参加した。「日記を書きたい」というより、「文章を書くことが上手くなりたい」のが参加動機だ。

WSの進め方だが、初回までに1週間分の日記を書いてくることになっていた。

初日の日記をそのまま引くが、これは日記では無くエッセイと呼ばれる類のものだ。この時点では「日記を書く」ということをよく理解していなかった。

2024年1月14日(日)

日記の書き始めだが、書く内容がまったく思い浮かばない。練習も兼ねて、家にあるこけしの中からお気に入りの物を選び、紹介してみようと思う。

最初に選んだのは盛秀太郎のこけし。盛秀太郎は青森の黒石で戦前から戦後の昭和まで活躍したこけし工人(こけしの作り手の事を工人と言う。伝統工芸品の中でもこけしは珍しく木地挽きから描彩までひとりの作り手が行う)。胴のくびれたアイヌ文様が描かれたものが有名。今回紹介するこけしも、その形のもの。

盛秀太郎の活躍時期は戦前・戦後・昭和後期と分けられるが、このこけしはたぶん戦後のものと思われる。というのもこの代表的な形も昭和後期には下瞼が変形をし、ほぼまつ毛のような形態と変化しているからである。このまつ毛のこけしの方が愛好家の間では有名であり人気もある。津軽のこけし(伝統こけしは東北特有のもので11系統があり、津軽のこけしはその一つ)のアイコンにもなっている。

だからといってそれが好きかどうかは別で、個人的には、睫毛の付いたこけしはあまりに可愛さにすり寄っているようで、好みではない。それよりも今回紹介したこけしのように、下瞼がしっかりと下瞼として書かれている時代の方が好きである。

そしてWS初回。

WS会場には15名ほど集まっており、初対面のメンバーが所在なげに古賀さんの登場を待っている。

そこへ古賀さんが朗らかに登場し、メンバーの緊張が少し緩むのが感じられた。各自が簡単に自己紹介した後、古賀さんが各人の日記に対しフィードバックを行い始めた。ここで「日記の書き方を教えてもらう方式じゃないんだ」と気付く。

フィードバックの仕方も独特で、古賀さんはとにかく褒める。「この表現が良かった」「この描写は素敵」など、とにかく褒める。褒めて伸ばすタイプだ。日記に対するモチベーションを最後まで維持できたのは、古賀さんに褒め倒されたお陰だ。

WSを経るごとに他の参加者の日記に対する変わりようが、その日記として読めるのも良かった。各回終了時に古賀さんから次回のテーマがゆるく提案される。そのテーマに沿って日記を悩みながら書き連ねていくうち、日記というものが多少は分かってきた気もする。最初はエッセイと日記の区別もついていなかったのに!

振り返るとWS初回は「日記の書き方を教えてもらう場では無いんだ」と少し落胆した。

表面上はそう見えても、古賀さんからWS参加者全員の2週間分の日記の良かった点を具体的に指摘してもらえることは、実は「日記をどう書けば良いのか?」という問いに対して、これ以上は無い回答になっていた。

そこがWSの利点だろう。ひとりだけ良いところを指摘されても気づきは少ないが、他の参加者の良いところを聞いていると、それが日記を書く上で考慮する点となる。

参加メンバーも多種多様な人が集まり、自分には書けない素晴らしい日記を書いていた。それを読むことは楽しかったし、教えてもらう事も多かった。

自分が持っている視点は自分だけのもので、それが各人それぞれにあり、その人の日記を形作っているという気付き。その表現の素晴らしさに羨ましく思うこともあったが、それはそれ、これはこれとハッキリ意識して割り切れるようにもなった。

共に日記を書き続けるメンバーがいるのは、ひとりで書き続けるよりも確実にモチベーションも上がった。並走する仲間がいるからこそ完走できたという感慨がある。

日記を書くWSは、当初思っていたものとまったく違った。違ったが、この20日間の体験はこれから日記を書いていくことの指標になったし、日記を書くことに少し自覚的にもなれた。

WSで共に日記を書いていたメンバーと距離が徐々に離れていくのは寂しい気もする。それでもまたどこかでラインは交差もするだろう。それまではここで得たものを日記という形に仕上げていきたいと思う。

最後にこのWSを並走したメンバーの方々とファシリテーターの古賀さんには最大限の感謝を贈りたい。

@iwatoma
たらことこけしとホットケーキ。日々の徒然を書いています。あまりオープンでない話はこちらで。