母が亡くなった。
4/19(金)のことだ。4/15(月)に入所している施設から「腹に腹水が溜まっているので診察に同行して欲しい」と言われ、同行して診察を受けた。その時は母も元気で、病院の診断も「対症療法でしばらく様子をみましょう」だった。
4/18(木)に腹水の急な増加があり、発熱もある。急遽病院に診察に行き、そのまま検査入院となる。尿路感染症による発熱だろうとの見立て。月曜よりはかなり具合が悪くなっていたが、この時点ではまだまだ亡くなるなど想像もしていない。
4/19(金)の午前中、病院から「危篤状態なので今すぐ病院へ来てくれ」と連絡が入り、急いで病院へ。血圧が低下しており、内科の先生の見立てではいつ亡くなってもおかしくない状態だと。その言葉通り12時前に母は息を引き取った。
眠るように呼吸が止まり、苦しさも無いままに旅立ったのは不幸中の幸いと思う。どうも乳癌らしきものがあり、それが転移していると推測されていたので、このまま持ち直しても今度は癌に苦しむことになってしまう。85歳という年齢もあるので、苦しまずの大往生だったと思うことに。
もともと要介護5の状態で特別養護老人ホームへ入所しており、生活を共にしておらず、会う機会もコロナをきっかけに年に数回となっていた。そういう状況やあまりに急変だったこともあり、悲しいという感情があまり湧いてこない。実感がまだないせいだろう。
4/24(水)に葬儀を終え、翌日に親戚を空港まで送り届け、一連の行事は終わった。4/26(金)は福井で4月から若女将になった友人を祝う会がある。流石にキャンセルしようと考えていた。考えていたが、兄に相談すると「もう大した用事は無いから行ってこい」と。時間に余裕があり考えこんでしまうよりはと旅に出ることに。
結果、福井の料亭での気の置けない友人たちとの宴会で随分と気が晴れた気がする。そして母が亡くなったことで、自分の人生のフェーズがカチリとひとつ歯車が回った感覚がある。
想いは色々と巡るが、うまく言葉にならない。悲しみもあるが、生前不自由な体になり、まだ頭もしっかりしていた時には「死にたい」とことあるごとに呟いていた母。苦しまずに旅経てたのは彼女にとっても良いことだったと思いたい。そして残されたものが自分勝手に思う悲しみは、生者必滅であることを考えれば、余計なことにも思えてくる。
もう少し時が経った時に、きちんと向き合ってみよう。