待ち望んでいた本が届く。
その1冊目、「小山さんノート」は昨年秋の出版だが、ようやく読む覚悟が出来た。テント村で生活する、いわゆるホームレスの小山さんがノートに綴った日記をまとめたものだ。
最近日記を公開する準備のためにnoteを読んでいる。雑多な記事を読んでいるが、そのなかで生活の知恵的な記事をよく見かける。自己啓発的なものだが、それに興味を持つ人が多いということでもあろう。
そういう世界と「小山さんノート」は対極にあるし、断絶している。繋がりがない。それが何を意味するのか、ぼんやりとだが感じるものがある。「小山さん」の生きづらさを物語として楽しむことは出来ないし、断絶については答えが出なくとも考え続ける必要があるとも思っている。
小山さんの日記は読んでいて苦しいのだが、読むのを止めることができない。それは小山さんが見ている世界と重なる部分を自身の中に見ているからだ。
二階堂奥歯の「八本脚の蝶」を思い出す。あの日記も「小山さんノート」と重なる世界を持っているように見える。重なる世界から見えるもの。そういう事を考えるのは大切だ。
小野和子の「忘れられない日本人」は前作の「あいたくてききたくて旅にでる」に感動し、待ち望んでいた新作。聞き書きが好きなのである。塩野米松氏の著作など最高だ。
タイトルの「忘れられない日本人」は宮本常一の名著「忘れられた日本人」へのオマージュだろう。
民話を語る人々、その日常を聞き取りできるのは今が限界かもしれない。その意味でもこの本が出版される意味合いは大きい。物語を語ることが当たり前だった時代。それは遠い話では無く、手を伸ばせば届くところにあった。その時代への距離感、感覚は大事にしたい。
令和のこの時代、生きづらさがあるにせよ、過去の何も知らない上での生きやすさはいらない。過去に学び、苦しいものも背負ったまま、少しでも前へ進みたい。