朝6時起床。
3階の寝室から2階のキッチンに降り、コンロにやかんをかける。洗面所で顔を洗い、キッチンに戻る。パンをトースターに放り、コーヒーを淹れる準備をする。
お湯が湧いたらコーヒーを淹れつつ、コップの水をお湯で割り、白湯を作る。焼き上がったパンにマーガリンを塗り、はちみつを垂らす。朝食はこれと白湯で済ます。
これは日記のワークショップ参加時に書いた日記の一節だ。この書き出し実は いしいしんじ著の「絵描きの植田さん」 からのインスパイア。
事故で聴力をほとんど失った植田さんは静かな世界で暮らしている。そのことが後半の爆発するかのような色彩の世界への布石となっているのだが、それはまた別の話。その静かな世界での一日の始まり、その描写が素晴らしいのである。とても好きな文章だ。
いしいしんじは好きな作家のひとり。
仕事と私生活がダブルできつかった時、職場の机に引き出しに彼の 「トリツカレ男」新潮文庫 を偲ばせていた。そして苦しくてたまらないときに好きな一節をこっそり読んで自分を元気づけていた。
後日 いしいしんじ著の「書こうとしない「かく」教室」ミシマ社 に「トリツカレ男」がどのような状況で書かれたかの描写があり、嬉しくなった。
その一節を引く。
これは恋愛をしているひとにしか書けないでしょう。しかも生まれてはじめての恋愛をやっているひと、ほんとうのことを、全身でやっているひとにしか書けないようなもの。
元連れ合いも、いしいしんじが好きだったこともあり、彼の住んでいる三浦半島の三崎は良く訪れた。魚も美味しいのである。
三崎の路地裏を抜けると、その先にいしいしんじの家はあった(当時)。散歩がてら彼女と「あった、あった!」と喜んだ記憶がある。二人はかなりのストーカーである。
京都では蓄音機の演奏会にも参加した。いしいしんじは三崎→松本→京都と引っ越していて、今は京都在住。
写真はSNSに上げることも含めて、快く承諾頂いている。
写真の蓄音機は「ころちゃん」と言う。蓄音機でSP盤を聞き倒すイベントだが、それまで蓄音機を軽んじていた。雑音がかなり入るなど音の品質は悪い。だが、再生する音の臨場感はまさに目の前でその人が演奏しているかのようだ。
リパッティをSP盤で聞くと涙が出そうになる。安い感動とかではなくて気付かないうちに零れ落ちているような不思議な感覚。過去をやすやすと飛び越え、いま、ここに共にあるというような空間を共有する感じ。至福の時だった。
音は空気の震えということも良くわかった。
好きな人をきっかけに世界が広がるのはとても楽しい。かなりの犬属性なので、簡単に好きになり、簡単に嵌る。
とりとめもなく、いしいしんじへの愛を語る回。