例えるならば、頼めるメニューが倍になる世界。

izmiiz
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今立泉です。こんばんは。

記念すべき2つめの記事です。2つめが「記念すべき」なのかというツッコミが想定されますね。ええ、わかります。でも間違いではありません。2つめで十分記念すべきなんです。なんてったってワタクシ、最初のご挨拶記事だけ頑張って書いて後が続かなかったことが片手の指では数え切れないくらいあるんですから。

さて。今日のタイトルはなんのことかというと、実際のファミレスのメニューの話ではなく、心の世界の話のことです。

身の上話じみていていささか面映ゆいのですが......私は、33年の人生のほとんどを「生きづらさ」を感じながら過ごしてきました。それを解消すべくいろいろ手を講じているうちに、今お世話になっているカウンセラーさんに出会いました。現在はその方のカウンセリングを受けたり、講座を受講したりしています。

そこで今日感じたことを表したのが、タイトルの「例えるならば、頼めるメニューが倍になる世界」。

どんな心理系のメソッドや自己啓発でも、最終的にたどり着くのは「世界が広がり、選択肢が広がる」というところではないかな、と思ったんです。もちろん、浅学な私がふわっと思った程度の話ですが。

世界が広がり、選択肢が広がること。私はこれらを恐怖だと感じていました。生きることが苦しかった時期が長すぎて、「世界が広がる、選択肢が広がる」なんて「もっと苦しい思いができるよ、もっと怖い思いができるし、もっと歯を食いしばって頑張ることがあるよ」と言われているようにしか感じられなかったから。

でも、きっと、実際は、違うのでしょう。「世界が広がる、選択肢が広がる」というのはきっと、これまで出来なかったことが出来るようになること。これまで選んでいた楽しいものや嬉しいことのバリエーションがもっともっと増えること。例えるならば、注文できるメニューが倍になる世界なのでしょう。

私がこれまで見ていた世界は、メニューブックやカタログのかろうじて黒塗りされていない部分だったのかもしれません。それが口に合わなくて、あるいは毒だと信じ込まされて、しぶしぶ食む人生が幸せなはずがありません。

何の制約もなく無垢なまま大人になることはとても難しくて、きっと私を含む多くのひとは自分を苦しめるルールさえ金科玉条のように祭りあげながら日々を生きているのでしょう。でも、そのルールは決して「正しいからそこにある」訳ではないのだと、少しずつわかってきました。ルールをもう一度精査して、取捨選択すること。そのやり方は人ごとに違えど、結構多くのセミナーだったり、自己啓発だったり、スピリチュアル寄り女性向け自己啓発だったりは「世界が広がり、選択肢が広がる」ことを指向しているんじゃないかな......と、そんなことを考えた日でした。

喩えがファミレスのメニューブックになってしまったのは、普段あまり外食をしない私がつい先日ガストで夕飯を食べたからです。鶏から定食が美味しかった!