日々出会う情報

izuha
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日々出会う情報で、何か、何処か気持ちの悪いものがある。

映画を観ているとき、オチに向かって誘導されていると感じるときがある。その「誘導」が心地よく感じるときもあれば、そうではなく心地悪く感じることもある。

僕らは透明人間ではなく、幾つもの細胞で作られた、実体のある人間である。他者から自分という物質を眺められたときに、透けて見えているみたいに、私たちの中に何かを注入しようとする情報発信の仕方がある。情報とは、ネガティブな方が敏感になりやすいとどこかの本で読んだことがある。

自分の美意識とは別に注入される情報はただただ心地が悪い。でも日常の中で、街を歩いているとき、人の会話が耳に飛び込んでくるとき、それらは前触れのなく訪れる。そしてその道の先で、僕らは足が嵌って動けなくなる。 「そういうときは逃げればいい。」そういうふうにいう人もいる。僕もそう思う。他者と自分を切り分けて、自分のことに集中して、前を進もうと言う。そういう雰囲気が世の中にはある。それはとても苦しいような気がする。僕らは生きなくてもいいし、生きてもいい。 「逃げればいい。」は強者の意見だと思う。じゃあそういう考えがある僕は、強者なのだろうか。弱者を望む強者なのだろうか。強者は無意識に人の領域に介入することがある。

足元が海の波に攫われて、そのまま海に漂流する。それはとても気持ちのいいことのように思う。僕らの身体は少しずつ重みを増して、海の底に沈んでいく。誰もわからない、街の隅っこで、陰鬱な部屋の片隅で。それは必ずしも不幸ではない。

まだ体は動く。