イタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』を読んだ。変な小説だった。
まずこの小説は二人称で書かれており、主人公は「あなた」だ。「あなた」が主人公の小説といえばテッド・チャン『あなたの人生の物語』ぐらいしか思い出せない。あれの「あなた」というのは語り手の娘のことだった。しかし『冬の夜〜』の「あなた」は誰かというと「男性読者」だという。なんだそれは、俺か。男性読者は『冬の夜〜』を読み始めるのだが、途中で乱丁していて続きが読めなくなってしまう。もちろんそれを読んでいる俺もだ。そして正しい本を求めて本屋に行くのだが、手に入ったのは全然違う本で、それも途中までしか読めない。出版社に行ったらまた違う本が……という調子で全部の物語が途中までしか読めない。つまり『冬の夜ひとりの旅人が』というのは『冬の夜ひとりの旅人が』の作中作でもあって、作中作がほかにも10本ぐらい出てくる。「男性読者」が読んでいる物語パート(作中作パート)と「男性読者」がその本の続きを探すメタパートが交互に出てくる構成になっている。
『書き出し小説大賞』というDPZの人気企画があって、ちょっとそれを思い出すという人もいるかもしれない。これはほんとに書き出しの1行というか1文のみを味わう競技(競技?)で、このあと話がどう展開するのだろうと想像したりワクワクさせられるのが楽しいわけだけど、『冬の夜〜』の場合だいたい20ページぐらいで続きが読めなくなってしまうので、もうこうなるとワクワクとかはしなくて、「男性読者」と同じようにこっちもちょっと落胆する。普通に話の続きを読ませてほしい。どうせ強制的に中断させられるのだと思うと物語パートを一生懸命読む気にならなくなってくるという問題がある。
徐々に読むのがめんどくさくなってくる。そもそもなんでおれは小説を読むのかということを考える。物語パートはどうせ中断させられるのだから一生懸命読んでもしょうがない?だったらメタパートは一生懸命読んでなにかいいことがあるのか?そもそも小説なんて読んだってなんの意味もないんじゃないかという話になる。(強制的に中断させられるものといえば、人生も同じ性質を持っている)それでも金を払って紙の束を買うのは、
目にするものすべてが意味に満ち満ちて見える日がある(p.73)
からかもしれないと思う。『アンダー・ザ・シルバーレイク』という映画があって、僕は大好きなんだけど、これの主人公サムはある日身の回りのものが全部暗号のような気がし始めて世界の真相を解明しそうになる、めちゃくちゃ変な話だ。この映画を観ると、ユーミンの「目にうつる全てのことは メッセージ」という歌詞がかなりやばく感じられるようになる。サムはどう考えてもやばい。やばいけどそういうやばい状態というのは楽しくて、小説でもなんでも、読んでいて「これは……!」と思わされる一節に出会うと世界の真相が全部理解ったような気持ちになるということはあると思っていて、そういう瞬間のために小説を読んだりしているような気もする。
小川哲の『君が手にするはずだった黄金について』で印象的だった文がある。
本は多くの場合、一人の人間によって書かれ、一人の人間によって読まれる。その一対一の関係性の中に、なんらかの奇跡が宿る
これは本を読むということの本質に迫っていると思う。書き手は多くの読者に向けて書いているのだろうが、読み手からしたら一対一の関係でしかなく、そこに自分のために書かれたのではないかと思わざるをえないような文章を見つけることはまさに奇跡のような体験で、ものすごく価値のあることだと思う。それが大いなる誤解だったとしても。
なんの話だったかというと『冬の夜ひとりの旅人が』の話だった。この小説はとにかく変だし、読みづらい。でもおもしろかった。どこがおもしろいのかもっとうまく表現できればいいんだけど、申し訳ないけどできない。翻訳の脇功氏の解説によれば
無限の可能性にと分解、剥離する世界を、そういうものとして認識した上で、何とか一つのまとまりのあるものとして読み取ろうと努め
たのが本書ではないかと書かれている。そうなのかもしれないが、そんなテーマとかは読んでる時にはどうでもよくて、読み終わってみてもまあそうかもしれないなぐらいの感じだ。カルヴィーノがなにを考えて『冬の夜〜』を書いたのかとかは読者としては正直どうでもいいと思っている。小説だけじゃなくて映画とかでもそうなんだけど、おれは作り手の意図を深く理解して考察するべきとか全然思わなくて、そういうのと全然関係ないところで観客が感動しても全然いいと思っている。なんだこりゃ?と思いながら、自由に読むし、感想も自由に書く。とにかくこんなに自由な小説を読めてよかったと思う。
ところで飯田一史さんという方の『今、中高生にSFを読んでもらうには』という講演の資料スライドがシェアされていて、その中に中高生にウケているのはどういう小説かという解説があった。
読む前からどんな感情に訴求するか明確(泣ける・意外性があるなど)
読む前から何が起こるかわかる(男女どっちかが死ぬなど)
10代が本音を吐露する
だそうだ。