パノプティコン解放区としての「しずかなインターネット」

かとじゅん(j5ik2o)
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公開:2023/12/10

こんなツイートをした。この考えについて掘り下げてみよう。

パノプティコンとは

「パノプティコン」という言葉がある。「パノプティコン」はベンサムが考案した刑務所の名だ。

この刑務所の特徴は、中央の監視塔と、その周りに配置された牢獄。効率的な監視が可能で、監視塔からは囚人が見えるが、囚人からは監視塔が見えない。この非対称な関係が「見られているかもしれない」という圧迫感を生み出し、囚人が悪さをしにくくなる。この「見られているかもしれない」という感覚がパノプティコンの本質だ。この考え方は、近代的な監獄システムに影響を与えた。

功利主義という考え方

少し脇道に逸れる。パノプティコンの考案者のベンサムは功利主義者だった。

功利主義は「最大多数の最大幸福」を重視する考え方。全員の幸福度を計算しその合計値が最大になるように行動する考え方だ。幸福になる人数ではなく全体の幸福度や幸福の量にフォーカスしている。

例えば、飢餓状態のAさんと普通にお腹が空いてるBさんとCさんに食事を分配する場合、Aさんに重点を置くような分配が功利主義的。

  • ケース1: 食事の均等割りでは、それぞれの事情を考慮せずに均等割りする。幸福度は50点。Aさん40点、Bさん5点、Cさん5点。

  • ケース2: 食事の不均等割りでは、それぞれの事情を考慮して不均等割りする。幸福度は76点。Aさん70点、Bさん3点、Cさん3点。

全体の幸福度を最大化することが目標だが、個人の自由や権利が犠牲になることもある。このバランスの難しさが功利主義の問題点だ。

功利主義的な事例としてはトリアージがある。トリアージは、限られた医療資源を最も効果的に使用するために、患者を緊急度や治療の利益に基づいて優先順位をつけるプロセス。最大限の全体的な利益を追求するという点で、功利主義の原則に沿っている。

功利主義は、過信せずに使えるところで適切に使えばいいと思う。

正義の教室 善く生きるための哲学入門』では、功利主義についてわかりやすく説明されているので、興味を持ったら読んでみてほしい。

パノプティコンと功利主義

ベンサムの考えはパノプティコンにも反映されている。ベンサムはなぜパノプティコンを考えたのか。詳しいことは分からないが、Wikipediaにこうある。

功利主義者であったベンサムは、「社会の幸福の極大化を見込むには、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要である」と考えていた。

ベンサムの功利主義的な姿勢はパノプティコンにも反映され、ベンサムの考える限りにおいて、運営の経済性と収容者の福祉が最大限に両立されている。ベンサムは「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」と主張していた。

囚人が常に監視されていると感じさせることで、規律と秩序を維持し、社会の全体的な安全と効率を高めるのがパノプティコンの狙い。

ベンサムはこのモデルを工場や病院や学校などあらゆる場所に持ち込むべきだと提案していた。今はどうだろう。刑務所に留まらず社会全体に広がっていないか。街のあちこちに監視カメラがある。ネットを含むすべての場所で監視があるのではないか。それは社会のためになるかもしれない。しかし、個人の自由はどうなるのか…。社会と個人のバランスをどう取るのか、難しい問題がある。

パノプティコン解放区としての「しずかなインターネット」

「フォロワーが多い」「ブックマーク数が多い」という指標が重視される今、監視の目は多い。あまりに狭い場所にたくさんの人の目が、集まりすぎてやりづらくなったと思う一面もある。

そういう意味で、インターネットにはパノプティコン効果があると思う。良くも悪くも。

とはいえ、こういったシステムから完全に逃れることはもはや難しい。でも、パノプティコンから抜けだし自由を表現したい。そんなときに「しずかなインターネット」という解放区がある。身構える必要はない。自分の思うことを素直に書いてみるのもいいだろう。

@j5ik2o
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