考えたことメモ。
1.
Material Designの世代変化における設計思想の変遷について考えていて、MD2のコンセプトを読み解いていて引っかかる。
MD2はブランド表現を可能にしたはず(仮定)だが、
それによって強烈なブランドの印象を残すプロダクトが本当に生まれたのか?
2.
MD2は、
サーフェスに色を持たせられるようになり
タイポグラフィやエッジも拡張され
ブランド固有の世界観をUI全体で構築できるようになった
つまり、
MD2は「ブランド中心のMaterial」を完成させた
という仮説が立っていた。(自分の中で)
しかし同時に、
Airbnbのような代表例であっても、実際には白ベース+ビビッドなアクセントに留まっている
大手ショッピングアプリはUI全体を大胆な色相で覆わない
という観察があり、仮説は揺らぐ。
3.
MD2は自由度を拡張したのに、なぜメジャープロダクトは尖らないのか?
「自由度の増加=表現の多様化」という直感が、現実と一致しない。
さらに別の摩擦。
MD3は(パーソナライズ適応により)ブランドすら後退させるが、それはブランドの消失なのか?
4.
当初の前提はこう。
表現可能性が広がれば、表現は強くなる。
しかし観察はこう示している。
ユーザー層が広いほど、UIは中庸化する。
信頼や即時性が重要な分野ほど、色彩は抑制される。
規模が大きいほど、リスク回避的になる。
したがって、問題はMD2の能力不足ではない。
制度は尖れるようにしたが、市場が尖らせなかった。
自由度と出力は比例しない。
5.
衝突する二つのモデル。
モデルA: デザインシステムが表現を決定する。
モデルB: 規模と信頼性がトーンを収束させる。
MD2は制度的には多様性を許可したが、 大規模プロダクトは構造的に保守化する。
したがって、
デザインシステムはトーンを決めるのではなく、「誰がUIを所有するか」を決める。
という再定義が浮上する。
6.
MD1:システム主語(秩序)
MD2:ブランド主語(テーミング)
MD3:ユーザー主語(パーソナライズ)
ここで重要なのは、
変化はスタイルではなく、UIの所有権の移動にあるのでは?
7.
表現可能性が高まれば、表現は大胆になるはずだという前提。
強いブランド=強い色彩という前提。
デザインシステムは美的スタイルを規定するという前提。
これらは部分的に崩れた。
「自由度=出力」という単純な構造は成立しなそう。
Material Designの歴史は、スタイルの変遷ではなく、 UIの主語(所有権)がどこにあるかの移動として理解できる。
UIの所有権がユーザーに移るとき、ブランドはどこに宿るのか?