終電の発車ベルが鳴る少し前、僕は駅のベンチでページのないノートを開いていた。
紙は白く、触れるとほんの少しだけ冷たかった。
「まだ、書いてないんだ」
声がして顔を上げると、三ヶ月前に死んだはずの彼女が立っていた。
黒いコートの裾が風に揺れて、僕の知らない匂いがした。
「書かなかったんじゃない。書けなかったんだ」
そう言うと、彼女は笑いも泣きもしない顔で僕の隣に座った。
発車ベルが二回目を告げる。
その間、僕は何も書けなかった。
彼女がページを覗き込むたびに、そこから文字が零れていくような気がしたからだ。
気づけば、電車は行ってしまった。
ベンチの上には白紙のノートと、彼女の影だけが残っていた。
その影に触れると、やっぱり少しだけ冷たかった。