ADHDと自閉症スペクトラムであると診断された。
診断はあっけないものだった。何か精密な検査とか、聞き取りとかをされるのかと(ボーダーラインの場合は検査をするが、あなたの場合は検査をするまでもなく診断が降りると言われた)思っていたら、「ASDで間違いないと思いますよ」と言われた。
スキズのシールだらけのiPad(壁紙は推し)で事前に準備した自分の困りごとが網羅されたリストを見せながら、受付で渡された番号札のゴム部分を執拗にいじくり回しながら何かを打ち込む医者の爪を凝視しているノンバイナリーの私はポツンと座ったまま、はあ、と答えていた。
もっと精密な検査とか、診断と検査って何が違うんですか、とか、本当にそうですか、と色々言いたいことは出てくるが、うまく言葉にならなかった。やっぱそうなのか、でも、そんなすぐにわかるもの?と問い詰めたくなる気持ちを抑えつつ、番号札のゴムを伸ばしたり回したりし続ける。正直、見る人が見たら一発でもうこいつAutisticだとわかる仕上がりで、冷静に考えるとコントみたいだった。
正直ADHDだろうなとはずっと思っていた。学生時代からしょうもないミスが多かったし、「気を付ける」だけではどうにもならなかった。どの学校にも馴染めず、どのコミュニティでも浮いていた。お勉強はまあまあできたのに数学だけが壊滅的にできず、留年しそうなぐらいだった。ある時からADHDという言葉が日本語でも知られるようになって、エッセイ漫画とかもよく見るようになった。ああこれ完全に、と思うたびにとりあえず閉じた。
こんなこともできないならお前を特別学級に入れるぞ、という脅しが定番だった子供時代を「頑張る」ことでやり過ごして大人になってしまった私にはそれを受け入れることは簡単なことではなかった。
コンビニバイトはレジを打ちながら肉まんを取りに行って弁当を温め、タバコを持ってきてお金をもらって袋に入れることがどうしてもできなくて、毎回何かしらを忘れて客に指摘された。掃除を中断してレジに向かったり、棚卸しをしながら他のことをやったりすることができなくて2ヶ月でやめた。
今の仕事でもいろんな大変さと向き合っている。コンビニでバイトしていた大学生の頃とは違って、今は徹底的にミスを潰すチェックシートを自分で作って指差し確認してやっと普通にできる。カレンダーは1時間単位でタスクを入れて、始業と終業、昼の時間にはアラームが鳴るようにしてある。そうしないとタスクを忘れたり、昼ごはんを食べなかったり、一生仕事したりしてしまうから。スケジュールは全てメモし、毎回締め切りがいつまでかを聞くようにしている。MTGは全てカレンダーで通知が来るように設定し、招待を送ってもらえるようにしている。議事録は全て一つの場所にまとめて、クライアントごとに分ける。修正はテキストで書き出し、対応完了したものは取消線で消す。
その姿を見て先輩は言った。「すごいちゃんとしてるね」
違う。
ここまでしないと、「普通に」できないだけ。
最近仕事を変えた。仕事は楽しいが、ミスが許されない場面も多い。友達同士みたいな雰囲気の会社で、みんなが仲良し。名前にちゃんづけだったり、タメ口で喋る人も多い。私は名前をもじった可愛いあだ名をつけられた。〜〜ちゃん、と呼ばれるたびにノンバイナリーとしては少し居心地が悪い。私は基本的に誰に対しても敬語で、さん付けを貫いていた。それが自分にとって居心地の良い距離感だから。
面接の時、「〜〜さんって、わ〜っと盛り上がったりすることって、ないんですか?」と聞かれた。なるべく職場にふさわしいプロフェッショナルな振る舞いをしつつも、ジョークを混ぜたりちょっとしたカジュアルな語尾を使ったりしていたはずなのに、とっつきづらい感じだったかなと戸惑いながらも、ありますよ〜!となるべく明るい声を出した。初めて会った美容師に「感情がないんですか?」と言われたことがある。あるに決まってるだろ。てかなんだその質問。心の奥深くに刺さったままの「感情がないんですか?」が疼く感じがした。
それからはなるべく明るい喋り方を心がけている。声を高くして、語尾を伸ばす。Slackではなるべく絵文字を多用し、波波伸ばし棒とびっくりマークを入れることでソフトな印象を演出する。可愛い、という言葉をとりあえず言う、など。
それでも私はどこか変だった。何かがおかしかった。元々、自分の感覚をぴったり示す自分独自の語彙を使う自覚はあった。でもそれを「〜〜ちゃんっておもしろ〜い」と笑われるたびに、その人にとって悪気はなくてもただ私は何かが変なのだ、と思うことになった。
会社の飲み会。なるべく楽しい雰囲気を壊さないように、かつ周りの人の話をちゃんと楽しく聞いているという印象をしっかり作るために、私はものすごく頑張っていた。元々表情が乏しいようなことはよく人に言われていたので、へえ〜とかそうなんだ〜おお〜とか、そういうことをタイミングよく、他の人にも聴こえるレベルで、かつ話の本筋の邪魔をしない音量で言うことに徹していた。
コース料理は美味しかったが、一体いつまで続くのかわからなくて苦痛だった。サラダは誰が取り分けるべきなのか、大皿に乗った海老は誰から箸をつけるべきなのか。そういうどこにも書かれていないルールも不安で、困惑していた。とりあえず明るい雰囲気をまといたくて酒を飲む。友達といる時や家にいるときは一切飲まないけど、仕事に関するときは無言に耐えられなくてとりあえず飲む。声のでかい人が延々喋っているのを時々笑ったり驚いたような表情を見せてリアクションする。なるべく大きくリアクションしないと伝わらないらしいので、頑張る。どんどん話がよくわからなくなってきて、その人の話を聞かずに他の話をし始めるグループが生まれたり、ちょっと小ボケを挟んだ人をイジる方向に話が飛び始める。そんな中でも料理は次々と出てきて、「ちょっとみんな聞いて〜!」とシェフの説明を挟む。パクチー?大好き!!みんなは?私は苦手、と口を挟むタイミングを失った。みんな大好きなので、いっぱい入れてください!!わかりました!とシェフがキッチンに戻る。あ〜あ。
笑い声や食器の音、咀嚼音、調理の音、いろんな情報がめちゃくちゃになって脳が破裂しそうになった。椅子の上で上半身を前後に動かし続けていることに気づいて、トイレに駆け込んだ。束の間の自由。変に思われないようにさっさと何もなかったかのように席に着く。で、なんの話〜?と言わんばかりに身を乗り出して、聞いているふりをする。もうなんでもよかったし、限界だった。今すぐ一人になりたかった。数十分耐えた後、もうどうしても無理になって、下手な電話を出る演技をしながら裸足で外に出た。外はコートがないと寒かった。友達にLINEをして少し正気を取り戻す。どうしても耐えられない。あの感覚は言葉では説明できない。ただ、あの場に居続けたら脳が破裂して中身がそこらじゅうに飛び散って死ぬ、という感覚。そのまま外で体育座りをして数十分過ごしていたら、脳は少しずついつもの調子に戻ってきたけど、寒くて凍えそうになったのでとりあえず腹を括って中に戻る。
適当な嘘を早口で捲し立てながらコートをひったくってその場を去った。Overstimulatingなので、sensory overloadです、と言ってもどうせ伝わらないし、Autistic、かもしれなくて、でも診断はなくて、でも多分そうで、なんて言ったら「そう思ってるだけ」じゃないか、そう言われるんじゃないか、そんなことを思いながら泣きながら帰った。仕事の飲み会で勝手に帰るなんてチームのことが嫌いなのか、と思われたかもしれないけど、実際に自分が体験していることを説明することもできなかった。
自閉症スペクトラムという言葉を知ったのは「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」。non-verbalだった子供は実は法律と海洋生物がspecial interestsのgiftedだったという筋書きで、自閉症の弁護士が描かれている。初めて見た時の感想は「自閉症って大変だなあ」と完全に他人事だった。
私は기러기, 토마토, 스위스, 인도인, 별똥별, 우영우と口走ったりはしない。自分の好きなことについては延々喋り続けられると知っているから、聞かれない限り喋らない。回転ドアは確かに苦手意識があるけれど、通れないわけではない。そして、私は「何かがすごくできない代わりに何かがすごくできる」わけではない。だから、私はウ・ヨンウではなかった。
医者は英語で書かれた私の困りごとリストを見ながら言った。「ASDの人は苦手なことがあるけれど、その代わりものすごく得意なことがあるんですよ。例えばあなただったら言語の能力とかね。ドラマを見ただけで覚えられちゃうのはすごいことですよ」
私は何も答えなかった。英語で書いたのは、私が「発達障害」という言葉が嫌でneurodiversityに関するリサーチを英語でしていたから、周辺の語彙を英語で説明したほうが早かったからにすぎない。英語と韓国語がある程度喋れるけど、それはドラマを見ただけじゃなくて必死に勉強したからだ。外国語の方が気楽なのは、ドラマで見た振る舞いや喋り方を真似すれば人とコミュニケーションが比較的楽に取れるから。そして何かおかしなことを言ったりやったりしても、文化の違いということで片付けられるから。
私はウ・ヨンウではない。いろいろな工夫をしないと「普通」レベルのことができない私。コンビニバイト「でさえ」(一般的には誰にでもできるというイメージだけど、正直世界で一番難しい仕事だと思う)できない私。何か特別な才能があるわけでもない、ただいろいろなことが難しくて他人の気持ちがわからなくて、うるさい場所が苦手で、ルーティンが崩されると不穏になって、コミュニケーションをしくじって他人を傷つけてしまう私。
正直今回の診断結果はショックだった。どう受け止めていいのか今でもまだわからない。誰に伝えるべきで、誰に伝えるべきでないのかもわからない。この社会で生きていく方法がわからない。
先生は言った。「究極は『飲み会でヘッドホンをつけることができるようになる』ということが治療のゴールです。特性は変えられない。自分の特性を周りに理解してもらって、自分にとってやりやすいやり方を周りの人を巻き込んで実践していく他ないんです」
ウ・ヨンウのような愛されるキャラクターでもなければ、何か突出した才能があるわけでもないのに社会に放り出された私は、ただ立ち尽くしている。