#1 メルボルンに行くことにした

sky
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もっと気軽にここでは書いてみよう。

1月にNYに3週間ぐらい行った。帰ってきてから「もうこりゃだめだこの国では生きていけん」と思い、ちょうど会社もクビになったのでいいタイミングだわ、とオーストラリア行きのチケットを取った。中国経由で片道44,740円。破格。チキって追加料金を払って便変更無料のオプションをつけた。

そこに至るまではいろいろ考えたりした気がするけど、正直忘れた。

クビになってからスライドするように始めた仕事を日本で頑張って経験を積んでいけば、ある意味安泰ルートだとは思う。たまたま代表の人に見つけてもらって気に入ってもらえて、たまたまいい先輩に恵まれて、いろんな仕事ができそうな感じだった。なかなかそんなラッキーなことはない。この仕事がなかったら、前職をクビになったダメージはもっと大きかっただろうと思う。でも正直給与水準は高くないし、海外に行けるチャンスもあまりなさそうな気がした。

NYで聴いていた曲をまとめたプレイリストを流しながら目を閉じるとあの街の地下鉄を思い出す。汚いしうるさいしボロいけど街の中で一番好きだった場所。NYの街を自分のもののように歩く僕、自分のことだけに集中して生きていた日々。日本に帰ってきてからは何かがずっと僕の首を絞めているようで嫌な感じがした。首の周りに手を回してみても自分の首を絞める何かには手が届かない。

僕は適応力が高すぎるところがあって、どこに行っても生きていけるし、どこでも自分の城を作ることができる。ホンデイックのボロいコシウォンでさえ、僕は毎回それを自分の家にすることができた。でも逆に言えば日本での首を絞められるような感覚も、すぐに慣れてしまうのだ。いろいろめちゃくちゃだけど、まあ関係ないしと無視して生きていける。生きづらくても、日々の生活が忙しすぎて考える暇がない。踏みつけられてもそれが当たり前だから、何も感じていないわけではないけれど仕方ないか、まあ、そういうものだろう、という諦め。それは常に僕を幸せを追求する意欲から遠ざけてきた。NYの魔法も、数週間数ヶ月で日本での長時間労働で未来について考える時間を奪われることで消えてしまうだろう。今しかない。NYの風を浴びて染まり切った今、その残り香が消える前に。おりゃ。そこでそのままチケットを買った。

今振り返ると、自分の人生のために、幸せを追求するという生き方を選ぶための決断だったと思う。「まあこれでもいいや」から「これがしたい」を選ぶ長い旅が始まった。

@jayu
queer non binary alien