辺鄙な田舎の学校、数える程の美術部、例に漏れず私は、小学生から中学生と毎年舞台絵を任されていた。
しかし中学3年の立案は却下された。1年の頃、卒業の舞台の背景絵を任された。鳩の飛ぶ爽やかな青空。それは私が描きたいものではなく、卒業のテーマに添わせて安直に決めたものだった。
それが、3年の卒業の時は、不死鳥がテーマになった。私は画面に収まる絵を考えあぐね、安直なものは誰かが出すだろうと見越して、家で取材をし、卵から火がたちのぼる抽象的な不死鳥を描いた。
得票数は多かったものの、僅差で親友でありライバルのAちゃんの普通の不死鳥の絵に決まった。
私は卒業に対してどこかバカバカしく空ぞらしく安直でこどもっぽいイメージを抱いていたのに対し、Aちゃんは卒業に対して大人っぽいイメージを持っていたのだと思う。それが思春期の生徒や先生の気にいったのだろうか。私は勝負をしすぎたのだと思う。本気で舞台絵を取りいこうというよりも、発想の奇抜さを重んじた結果だった。
それでも原案のAちゃんを差し置いて、制作進行は私に一存があり、原案の再現に苦心した。舞台絵にするには尾羽が抽象的にカラフルな線であったためだ。(それは私が小学生の頃の学級委員ボードで魚のベタの尾びれを、主線をオーバーして描くカラーの線の案のパクリだった、Aちゃんはパクリ女だった)
そのまま起こしたのでは遠目に何が何だか分からなくなってしまう恐れがあった。
詳しくは覚えていないが、制作は生徒全体で進めたが、私が指示出し係だったので、なるべく曖昧な色を使わず、原色に近い色で尾羽を思いっきり主線からオーバーしてくれと頼んだ。孔雀のように丸い飾りバネをつけ、背景の黒と対比させた。
出来上がったのは、華麗なフェニックスだった。Aちゃんのパクリ案が採用されたのにはいささか腹立っていたが、制作進行と仕上げは手を抜かなかった。
原案はAちゃん、制作は私、と言った作品になった。
あれは後悔はしていない。
しかし、立案はもっと慎重になって良かったかもしれないと思う。
でも、小学生の学芸会の舞台絵、体育祭の旗の虎、卒業式の鳩の絵、学校公式のスタンプと、私が担ってきたのを、Aちゃんはこの私のような気持ちでいたのだろうと思うと、ひとつくらい譲ってもいいのではないかと思える。
それは青春の苦さだ。