割と定期的に献血に行きます。理由は 「血液を必要としている人の為」と言いたいところですが、そうでもなく自分の為なんですよね。
検査をしてもらえるから行くのかと言うと違う気がするし、記念品がもらえるからと行くと言うのともなんか違う。
要するに自分でもよくわからないのです。
よくわからなくても、おそらく私の血液は誰かの役に立つのでしょうし、検査もしてもらえるし、記念品ももらえるからいいかというのが本当の所。
だから、「献血をして偉い」とか「すごい」と言われると複雑な気持ちになってしまうのですが、前に大きな病院の看護師さんに「ありがとうございます」と言われ何か心が動きました。
今まで病院やクリニックの方に「偉いですね」とか「すごいですね」と言われたことがあってもお礼を言われた事はなかったんです。
その時、「もしかして私の血は誰かの役になっていてるのかな?」と一瞬だけ実感できました。(他にもいろいろ感じたけど割愛)
それがですね、抗ガン剤の治療から生還した知人との雑談の中で「輸血しなければどうにもならなかった」「血液製剤と言うのは保存期間が短い」という話になって、「目の前で元気で話をしている人は献血の血液のおかげで戻ってこれたんだ」と感じまして。
なにせ、今まで「献血が目的」で取った血液が悪用されなければどうに使われていても(極端には捨てられていても仕方ない)構わないと思っていましたので、使ってくれた人の話にははっとしました。
だからと言って、私がこれから「他人の為に献血」をするかと言うとそうでもないと思うのですが、ぼーっと血液を採りながらも、たぶん世の中の巡りあわせとかをとりとめもなく考えていそうだなと思うのでした。
このまま、私自身に何事もなく、無事に年齢制限に達して、寂しいながらも献血が出来なくなる事しか考えていませんでしたが、最近は、加齢でいろいろな数値も下がっているので、もしかしたら次回の献血に急に行けなくなる事もあるんだとしみじみと感じます。
なににしろ、献血できることはありがたいことだと思いつつ、行ける時には行く事にします。
本当は若い人に行って欲しいのですが、こればかりは行きたくない人は行かなくてもいい事なんですよね。
せめて、興味位は持ってもらえるようにSNSで呟くことにいたしましょう。
ちなみにうちの家族は赤ちゃんの時の病気が原因で献血できません。
一緒に献血行きたかったとちょっとだけ思っています。
生きていてくれただけでありがたいので贅沢だとは思っていますが、それでもいまだにちょっとだけ思ってしまいます。