私見だが、ネットの多くの人間は、疲れていない時や健康な時には文章など書かず、それ以外の生産的なこと(文章を書くのも充分生産的であると思うが)をするのではないかと思う。手芸や工作、家事とか。文章って、ストレスを抱えていたり、何か訴えたいものがあるときに、「書きたい!」と衝動が沸いて生まれてくる傾向にあるのではないか。満たされた生活をしていては文章は生まれないとは言わないが、そうした環境で生まれたものに、名文はどれほどあるのだろうか。
さて、本題である。私は、大人になってもしばらくの間、マッサージや整体のようなものを敬遠していた。
なぜかというと、スタッフから聞こえよがしに悪口を言われたからである。小学生か中学生の時、電話帳あたりで見つけた駅近くのあるマッサージ店に一人で入って、カーテンの中でうつ伏せになろうとしていると、若い女の人の声で、「…生意気〜!」と聞こえてきたのである。おそらく、私が、マッサージなど受けるには年齢的に時期尚早だということであろう。
この、「生意気」という言葉、相手を傷つけて服従を促す呪文以外の意味を持たないと私はある頃からずっと思っている。まあ、言った人も、たいして深いことを考えていなかっただろう。
さて、豪華(?)二本立てである。私は今日(2024/03/29)、一生分の「海の見える街」を聞いた。スタジオジブリのアニメ映画「魔女の宅急便」で、キキが牛を運ぶ貨物列車からほうきに跨って飛び立ったシーンで流れた曲であり、オープニングやエンディングテーマのユーミンソングと並んで作品を象徴するものである。
何ヶ月ぶりかは忘れたし、zaimアプリを見るのも面倒なので履歴は省くが、加齢と肥満・運動不足で脚が上がらなくなっており、リュックを背負ったせいで肩と背中のへんが怪しい。
接骨院にありがちな電気ビリビリのやつ(あれはあんまり効いた感じがしないので嫌いな方である)ではなく、手を使って身体の歪みをクイックイッと緩和してくれるところである。私はここが気に入っている。だいたい室内BGMは久石譲のジブリ音楽である。
しかし、なんだか今日は様子がおかしい気がした。なんと、「魔女宅」の「海の見える街」一曲だけが延々と、ずっとリピートしているのである。CDかMDかmp3かは知らないが、ラジカセが故障しているのであろうか。とにかく私は、望んでもいないのに無断アップロード版権曲の動画によくある、同じ曲の1時間耐久のやつを、横たわって施術されながら聴くような形になってしまったのだ。さりげなく(?)「同じ曲流れてません?」と訊いてもよかったのかもしれないが、鬱になった人、精神的に不安定な人は同じ曲をリピートしがちであると以前から聞いたことがあり、怖くて話題に出すことができなかった。
このワンマン経営らしき院長さん、以前は奥さんや赤ちゃん(幼児?)の写真を出入り口近くに飾っていたのだが、ある時から綺麗になくなっていたのである。その時も私は不穏なサムシングを感じとった。今日会った時は、なんだか白髪が混じっている。私も頭は白髪混じりになってきたしメンヘラの人である。いや、院長が病んでいるのかは知らない。「海の見える街」、私にとってもジブリ作品の中で最推しの曲である。小学生の時は楽譜をねだり、ピアノは習わずに、最低限のことだけ長兄に教わって、運指はめちゃくちゃながらよく弾いていた。私が独学のように鍵盤楽器を多少嗜むきっかけになったほどの曲である。しかし、こうも繰り返されると、「ほうき酔い」しそうになる。魔女になったことはないので、実際ほうきで飛んで酔うものかどうかも知らない。花やしきでフリーフォール的な奴に乗ったとき、ほうきで空を飛ぶのもこんな感じだろうかと思ったことはある。
大好きな名曲も、エンドレスは苦痛である。
最後に、船橋の手芸の民に、悲しいお知らせである。
クラフトハートトーカイのイトーヨーカドー船橋店が閉店していました。あらあら。これからは津田沼のユザワヤ一択かもしれないわね。