人生に必要なもの

jiro
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兄はとてもシンプルな存在だ。知能は幼児並み、話せず、手を繋がないと歩けないし、食事もトイレも手がかかる。

カネには興味がない。そもそも、カネの概念を理解していないだろう。物欲も性欲もないようだ。

ただ、誰かが近くにいないと、ワーワーうるさい。夜は、八十を超えた父と同じ布団で眠る。兄も五十を超えている。

そんな兄が発する唯一の言葉がある。それは、コーヒーだ。毎日、父に車で近所の溜池のほとりまで行き、缶コーヒーにストローを差して飲むのが、絶対に欠かすことのできない日課だ。

兄を見れば、人間にとって大切なものがわかる。ごはんと家族と、明日だ。兄は明日の予定を毎日確認して、明日が来るのを楽しみにしている。そして、もう一つが、コーヒーということか。きっと居心地のいい施設なのだろう。

今年の初め、兄が通う施設で、書き初めの催しがあった。兄の書き初めは、「コーヒー」だった。兄が書けるわけがないので、施設の方が書いてくれたのだろう。

僕はコーヒー屋でもある。たまには兄にドリップしてあげよう。