自分はオリジナルの宗教です、って書くと中々イタいよなって感じた。
宗教勧誘の兄さんが来た。とはいえ直接的に誘われるものでもなく、意識調査のアンケートという体で駄弁りつつ交友を深めるフェーズなんだろな、くらいの軽いノリ。
現状に不満とか、未来への不安とかも無いに等しいし、こちらとしてはかなり凝り固まった宗教観をしている。わざわざ時間を割いて貰って申し訳なくは思うが、強く突っぱねるのも嫌だなぁと思って相手の話の流れに合わせてた。
正直、やり取りの最中で彼らとは宗教観が合わないなーと思ってはいたが、オカルトとかホラーが好きなんですよね、どんなところが面白いんですか、と聞かれてこちらのホームグラウンドになった。話を合わせてくれただけだろうけど。
特に心霊体験ではないが、ほんのり意味のわからない不気味な体験談を語ったら話が盛り上がって、ほどほどに解散。
いやそんなことはどうでもいい。ただ、そういうことをきっかけとして思うことがあった。
この件で思ったのは、自分の宗教観、ひいては信仰観や死生観は既存の宗教や信仰をパッチワークしたり、その中で運用される概念を純化したり抽出したしたもので、似たり寄ったりな観念・思想はあっても、確実にコレが源流だとするというものがないこと。
そうするとこういう悩みが出てくる。
仏教徒ですか、キリスト系の信徒ですか、と問われるとどれも違うが、かといって無神論者でもない。
独自の信仰観と言えば斜に構えたイタい奴っぽいし、自分の考えた神様が居るんですと言い張るなら輪をかけて不気味なヤバ人間になる。
全く根拠はないが、日本人の多くは自分を無宗教か、あるいは玉虫色の、特定の信仰を持たないラベルレスな人間なのではと勝手に思っている。
自分はどちらかというと、確固たる信仰はあるけれど、準拠となる宗教が特にない人間になるので、そういったラベルレスなり無神論者なりとは少し違うと思う。
じゃあ無宗教なんです、ラベルレスな人間です、と名乗るのも、正直抵抗がある。
今なら江戸のキリスト教信者が踏み絵を踏まなかった人々の気持ちがうっすら分からないでもない。
たぶん、プライドとか深甚深さとかだけが理由ではない。宗教は得てして行動規範やモラルを説いて律する役割も持つが、そういう心を強く持つための象徴を、形だけとはいえ蔑ろにすると、自分自身の否定にも繋がると感じるのが酷く心苦しかったんじゃないかと思う。
いかつい目してるサムライヤクザに囲まれたら俺は踏むけど。
そういうわけで、個人的には無宗教やラベルレスな人間を名乗るのに抵抗がある。俺にも俺の信仰があるから。
諸々の理由から、「じゃあ貴方の宗教は何ですか?」って問われると、オリジナルの宗教です……と答えざるを得ないが、はじめに言ったように、イタさが勝つ。そんな機会は人生に十も二十もないかもしれないが、一回だったとて激痛だしマジ勘弁。
そもそも宗教とは何ぞやとWikipediaを見てみると、『人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、~施設、組織などをそなえた社会集団のことである。』とある。
俺の信仰は別に体系的ではなく、設備や組織もないため宗教と呼ぶのも不適切かもしれない。
別に、個人的な信仰に名前をつけたいわけじゃない。広めたい意欲もない。ただただ自分一人の極限ローカルな信仰があるだけ。
そんな人間は何を名乗ればいいんだろうな、とふんわり考えた。