2024/3/26 ランニングキツすぎワロタ

jknr
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昨日およそ8年ぶりくらいにランニングしました。昔のノリで3kmのコースを12分の予定で走り始めたはいいものの、2.5kmのあたりで腱がブチ切れそうになりギブアップ。運動不足を戒める意味も込めて十分に筋肉を休めたのちに1km走り計3.5kmでフィニッシュ。2.5km時点で18分くらいかかってて笑いましたね。衰えって実在するんだ……。

上半身と下半身のトレーニングを別日にするつもりで、上半身だけトレーニングしてからランニングした。けどランニングがきつすぎて下半身の筋肉疲労もビチビチ。わける意味ねーじゃん。トレーニングメニューが初日で崩壊、その結果が全身筋肉痛の今日です。まあ頑張った翌日の筋肉痛は悪いもんじゃないっすけどねぇ〜。

なんで突然ランニングを始めたか。理由は2つある。ひとつは中学時代の悪友の結婚式のため、もうひとつは"頑張らない"ことの練習のため。

まずひとつめ。当然8年間自堕落に自由気ままに過ごしてるとさ、顔のラインとか腹とか当時みたいにはいかないじゃん。8年前の俺、自分で言うのもなんだけど結構かわいいんすよ。童顔って言われるし。けど今じゃどうよ、デブとは行かないまでも丸み帯びて微ブスくらいやんね。ベビーフェイスのが近いか?

でさ、中学から高校まで一緒に学校サボったり制服のまま道端で球蹴りしたりゲームで競い合った親友が2024年9月に結婚式やるらしいんだ。親友だったけどライバルでもあって幾度となく喧嘩とか競争とか煽り合いとかした。そんなアイツが結婚かぁ〜って。

ソイツ中学時代までは髪伸びっぱなしの肉まんみてえな顔だったんだけど、中学以降背もめっちゃ伸びて顔もシュッとしてノリもいいイケメンに成り下がりやがって。やんちゃだけど根はいいやつだからみんなに好かれるし俺も大好きだし。端的に言うと悔しいんすよね。あの時は一緒にバカやった仲なのに、いつのまにか俺だけ前に進まず取り残されたような。

で、9月まで時間あるやん。じゃあやったろうかなって。いうてたった5ヶ月しかないけどさ。少なくとも俺の時間は止まってねえって胸張って結婚式顔出して祝ってやろうぜ。多少顔もシュッとすんべ。ここまで大敗北だけど今後そうとは限らんからね。ってのがひとつ。こういう時くらいしか自分の容姿気にすることないしたまにはね。

そしてふたつめ、"頑張らない"ことの練習。俺熱中するタイプだから多くのゲーム・仕事・チャレンジをガーッとやってパタっとやめる。これ別に短期的には全然構わないんだけどデカい規模で物事やろうとすると続かん。継続は力なりとはよく言ったものです。

1日で10やるのと10日で10やるのでは量が同じでも質がまったく違う。こんなことはたいていの人がわかってる。俺だってわかってる。けど1日で出来ちゃうことは1日でやっちゃうんだよなあ。仕事ではそうならないよう気をつけてるけど、特にゲーム・アニメの世界観の理解とかは如実に差が出る。例えばフリーレンイッキ見すると味が落ちるやつ。

聞いたところによるとトレーニングの努力の結果を最大化するためにはあえて休息日を作ることが重要らしい。筋肉に負荷かけて2-3日休ませる。別に頑張ったってケガするだけなんだから筋肉が再生する時間を作って成長を促す。どうせ頑張りすぎたって大して効果でないんだから休ませるのが合理的。意図的に"頑張らない"が二頭がいいねチョモランマの秘訣なんだと。

けどさ、俺の性質上そうはいかないわけ。だって1週間で筋肉モリモリマッチョマンになりたいじゃん。一気にトレーニングしたくなるじゃん。体中痛いけどランニングしたい。腕いてえけど腕立てしたい。欲が湧いてくると際限なく取り組みたくなっちゃうのよ。

きっと無意識に行動すればした分だけ見返りがあるって思ってるんだろうね。あるいは心理学的に言えば衝動性が強いともいえる。あれこれ考えず、とりあえず動いてしまう。短期的な報酬を求めてしまう熟慮性とは真逆の存在。それが俺。なんていうんだっけ、遅延報酬の実験?動物実験とか赤ちゃんの実験でよくあるよね。今すぐもらえる飴玉1個と2時間後にもらえる飴玉10個、どっちがいい?ってやつ。俺ならすぐ飴玉もらうね絶対。

でも前述したようにトレーニングは最大限の結果を生むためには時に"頑張らない"のがいいらしいよ。行動したいのに行動したところでさほど結果は出ず、短期的に超疲れる。長期的に見れば取り組むことすらだるくなってくる。"結果が欲しければ今日は行動するな"という制約と向き合うこと。師曰く、トレーニングの結果が出るのは2か月後、それまでは習慣化と忍耐が必要。俺にぴったりじゃんね。頑張らない練習しよ。合理的に頑張らない練習ってトレーニング以外でなんかある?株以外であったら教えてくれ。

ここまで書いて、この8年間の自由気ままの生活を心のどこかで悔いていて、親友の結婚式がそれを見直すきっかけになったってだけって気づいた。俺は容姿や健康及びプロダクトの質を諦めることによってそこそこの自由と平穏と怠惰を手に入れた。けどやっぱ諦めたもんはいつかほしくなるもんなんだろう。小さいころ投げ捨てたダークソウルに大人になってから向き合ってハマる的なね。

1か月後だるくなってやめてたら笑ってくれ。その時の俺はきっと「なんで苦しいこと自分からやらなあかんねん」っていう。予言しとく

以上