白泉社を読んで育ち、舞台芸術を食べて精神の安定を図ってきた人間には刺さりまくる。舞台に立って全てを晒して全てを隠して生きる道のグロテスクでエゴイスティックな面が浮かび上がるショー。見せもの小屋に観客が入って初めて作品として完成する。
琴ちゃんのショーはRayもモアダンもグラカンもトップスターとしてとことんカッコいい1番星となって栄光の道をひたすら歩み続けるショーだったのが、ジャガビーでちょっと毛色が変わったと思っている。ジャガビーもヴィオレトピアも礼真琴というトップスターじゃなくて、礼真琴という役者に焦点が当たっているような気がする。
トレープレフ、ロミオ、ジュリアンみたい思春期の琴ちゃんが好きな人は絶対に好き。音高時代から走り続けて来た琴ちゃんが1789の後に少し休養を挟んで、それでもやはり舞台に生きることを選んでくれた過程をどうしても重ねてしまう。
サーカスの蛇はトップスターじゃなくて2番手だった頃の琴ちゃんを思わせるような場面で、センターで皆を率いるのではなく1人のダンサーとして今の礼真琴が踊ったらどうなるのかを追求していて良かった。
RRRで皆に守られるビームを観た後にショーでは劇場に囚われたひとりぼっちの礼真琴がそれを受け入れてしまうショーを見せられるのは温度差で風邪をひきそう。