過程を評価することは難しい

joejack
·

仕事をしていて思うことがある。いくら頑張っても結果の伴わない頑張りは自己満足なので他人から評価されないということ。当たり前のことではあるが身に沁みる。

例えば具合が悪くても仕事を期限内にあげる、すごく頑張った、褒めて欲しい。頑張りを評価して欲しい。しかし期限内にあげるのは当たり前で、なんなら元気に納品してくれた方が相手は気持ちがいいだろう。

「ああ!わたしのために具合悪くても頑張ってくれたのね!!ありがとう!」なんて思う人は奇特だし、怪我や病気をおしても作業をするような「勉強と仕事の苦しみは善」とする見方の社会なのに人単位になると「いやしんどいなら早く連絡してよ」「そんなところで苦労されても」となるので令和は複雑かつ悲しい世界だなと思う。(そのくせサクサク簡単そうに仕事してると楽な仕事はいいよなとか、そんなならもっとできるだろとか言われる理不尽もあるし)

生活の半分になりつつあるSkebでの納品はその点、わたしにとっては日本社会に属するよりも都合がいい。最低限納品さえしていれば苦労した分だけ大体の場合は褒められるし、喜ばれるし、感謝される。だからいつも、値段よりちょっとおまけして作業をして納品。わたしのSkebのリピーターがめちゃくちゃ多いのは、あなたのために頑張って描いてますよ!というのが伝わってるからじゃないのかなぁと思う。もちろん必ず納品してることや値段が安くてコスパいいのがでかいんだろうけど、生活に困ってると援助してくれる(わたしの体調を慮って支援くれる)石油王たちの存在がその証拠な気がする。

仕事もこうなって欲しいけど、Skebは趣味と好き構築されたいわゆる嗜好品の部類だからなんだろうな…それでも仕事も同じようになって欲しいと思う。甘い汁吸って生きてたい。かってにやった自己満足の頑張りも褒められたい。

こういう人間性だから社会で過程の評価されないのでは。