記号化した私のはなし(読書雑記)

johnniefuzikov
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お陰さまでそろそろフェディバード一周年となります。ありがとうございます!

Twitterのまえにやってたmixiもwassr(知ってる?)も含めるとSNS歴は20年はあるかもしれません。

それを思うとなかなかネットの海で古漬けになっとるわけですが、

そんななかでなんとなく、繋がりの先に見えてる私は、私がタイプした文字で信号/記号化されて、さらに読んだ人の脳のなかで抽象になってるんだなと言う不思議な気持ちです。

鏡のまえの私ではなく、まだ顔を見たことのない誰かの頭の中の私がいる。

私の見ている文字の向こうの誰かの姿もまた同じだとおもうと、なんというか浮游している気持ちがします。

でも、間違いなく人と人の繋がりなんですよね。

対面でも同じだし、どんなに言葉を尽くしても同じ。

誰かを解っている/解っていないって言うのはどっちも勘違いで、理解できるのは自分の中の抽象が全てというわけで。

n番目の記録だとは思いますが、最近読んでいる本もそんな感じのことを書いていて、千年単位で疑問として持ち上がっているのは何だか安心感があります。

浮游する安心感?

不思議ですね。

ではまた!

【鏡の背面(コンラート・ローレンツ)/自省録(マルクス・アウレリウス)】

@johnniefuzikov
砂肝セロリ として生息中 @[email protected]