藤原基央と騎馬戦がしたい。
これはわたしが2013年くらいから口にしている言葉だ。何がきっかけでそういう思考に辿り着いたのかもう思い出せないが、「大好きな藤くんを担いで応援したい」「藤くんと一緒に戦いたい」みたいな意味で使っている。
「騎馬戦をしました。ありがとうございました」
2023年4月21日のツイート。BUMPのライブを観に行った日の夜のことである。この日のわたしはきたえーるのアリーナ席でBUMPを観た。センターステージに登場した4人がすごく近くに感じられた。一曲目のアカシアに合わせて光るリストバンドが眩しくてきれいだった。あの瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。
BUMPのライブはいつも「わたしのための歌だ」と思う。藤くんはわたしのために歌ってくれている。あの会場にはものすごい人数の観客がいて、BUMPはたったの4人だ。藤くんはそのうちのひとりだ。それでも彼は一対一で、「きみのために歌うよ」と言ってくれる。
この日のライブは特にその感覚が強かった。わたしは涙でマスクをびちょびちょにしながら右手を挙げた。歌ってほしいと頼まれれば、精一杯に声を出して歌った。久々のことで何度も喉が裏返った。藤くんがわたしのために歌ってくれている。だからわたしもそれに応えたい。そう思うと、まるでそれが直接届いているみたいに藤くんは笑ってくれるのだ。
彼からもらったものをわたしも何かで返したい、そう思って返事をするとわたしからの気持ちを受け取った藤くんが笑ってくれる。うまく言えないけれど、わたしはあの日、藤くんとグータッチをしたような気持ちになった。拳を作って見せると、相手も同じようにしてくれるから、そのままごつんとぶつけ合う。言葉も要らなくて、でもたしかに通じ合う、そういう心地がした。
もしかして、これを騎馬戦と呼ぶのか?
そう思って前述のツイートになった訳だ。
初めは担ぎたいというオタクの願望だったのだけれど、次第に一緒に戦いたい、戦友でありたい…みたいな気持ちになってきた。俺たちは仲間だ!みたいな…もう15年以上BUMPのことが好きなのに、今一番BUMPに「友だちっぽさ」を感じている。
一対一で会話をしてくれて、わたしの「ありがとう」に嬉しそうにしてくれる。BUMPの「ありがとう」が本当に嬉しい。いいってことよ、こちらこそだよ👊という気持ち。心と心のやり取り、繋がりを感じる。
どうして突然こんな話を始めたのかというと。
推しが誕生日にミニライブを配信してくれることになった。
セラフはとにかくリスナーとのやりとりを大切にする人だ。スパチャもコメントも丁寧に拾ってしっかり会話をする。それがやりたいからやっている、と彼は以前言っていた。
初めてのライブのときには「貴方がいたから、笑えた今日です」と言った。みんなとか、お前らとかじゃなくて、必ず「あなた」と一人を指して呼んでくれる。
そんな彼が、自分の誕生日のことを「貴方とお祝いする今日」と表している。
今、彼のYouTubeチャンネルの登録者数は26万人くらいいて、26万分の1のわたしにも「貴方とお祝いする」と言ってくれる。
昨年、デビュー後初めての誕生日を迎えたあと、セラフは「こんなに祝ってもらえるなんて初めて」「俺って居ていいんだ、と思った」と話していた。
2回目の誕生日は一緒にお祝いをするのだという。素敵なことだなと思う。セラフの誕生日を祝うべき日だと思う人たちがいて、セラフがそれを知ってくれた。一緒に祝ってくれる人がいる、そう思ってくれたこと、これってオタクにとって何より嬉しいことだ。
セラフはわたしとお祝いしてくれるらしい。セラフの誕生日を。
ライブということは生でパフォーマンスがあって、それに向けてきっと今はめちゃくちゃに忙しくしている頃だろう。自分自身のためで、何よりわたしたちのためにだ。
セラフの活動を追えば追うほど健全な身体と純粋な魂…という気持ちになる。彼の言葉に嘘は無いんだろうなと信じたくなる。そういう誠実さを彼に感じている。
「彼の言葉に嘘は無いんだろうなと信じている」と打ち込んで「信じたくなる」に訂正した。まだ握り拳を見せる勇気はない。
でももしかしたら。
騎馬戦、できるのかもしれない。