読書アドベントカレンダーとはまったく関係のない話から始めるんだけれども、ドラマ『やまとなでしこ』の最終話のエンドロールが好きだ。
MISIAのEverythingに合わせて、NYで過ごしている二人――桜子さんの買い物に欧介さんが付き合わされたり、二人が食べ歩きをしていたりするあのシーン――がものすごく好きなんだけれども、あれはリアルタイムで見ていたらそんなふうには好きにならなかったかもしれないと今さら思う。
25年近く前の『やまとなでしこ』には、令和の時代のドラマではもう見ることのないであろう旧い価値観と華やかさが描かれている。欧介さんと桜子さんが歩いていたNYにツインタワーはもうなくて、二人はその後どんな人生を生きたのだろう、今どんなふうに暮らしているのだろうというノスタルジーも込みで、あのラストシーンを愛している気がする。
さて、読書アドベントカレンダーで何の本について書くか迷ったのだけれども、今年で鷺沢萠の没後20年ということに気付いて、それならもう『大統領のクリスマスツリー』(1994年)だろうと思った。
鷺沢萠作品を知ったのは、中学校の国語の教科書に掲載されていた「指」で(『海の鳥・空の魚』所収)、その頃には既に彼女は亡くなっていた。当時の国語の先生が、裕福な家に生まれたけれども父親の会社が倒産して、年齢をごまかしてスナックでアルバイトするなど苦労した人なのだと教えてくれた。
その後『海の鳥・空の魚』『F 落第生』なども続けて図書館で借りて読んだ。もちろん、デビュー作の「川べりの道」が収められている『帰れぬ人びと』も我が家にある。ハードカバー版の口絵の写真では、二十歳前後であろう彼女があどけない表情で笑っている。『帰れぬ人びと』はつい数年前講談社文芸文庫に収められて(あまりのお値段にビビりながらも結局買った)、鷺沢萠が読み継がれる機会ができたことをうれしく思うとともに、なんだかもう「歴史」になってしまったんだな、と少し切なかった。
今回紹介する『大統領のクリスマスツリー』も、高校生の頃に読んだ。ほろ苦い物語で、大人になるというのは切なくて苦いものだな、と思った記憶がある。
『大統領のクリスマスツリー』は、アメリカで暮らす日本人夫婦である治貴と香子の十数年と、二人の関係性の変化を描いた小説である。
アメリカの司法試験に合格し、将来を嘱望される弁護士である治貴と、留学中に出会った治貴を支えるために懸命に働き、彼と伴走してきた香子。二人の間には幼い娘があり、かつて将来の夢として語られていた家も手に入れて、順風満帆に見える。
その2人が、幼い娘を日本に一時帰国させて、夫婦だけのドライブに繰り出している。そのドライブにはどことなく不穏な雰囲気が漂うが、二人の出会いから現在までを香子が回想する形式で物語は進む。お金がなく、時に喧嘩しながらも幸福で、パズルのピースのようにうまがあっていた学生時代の二人。治貴が司法試験に合格して、待望の子どもを授かり、・・・・・・少しずつ二人の人生は進んでいく。「幸福だった若い二人」の描写がただただ魅力的で、登場人物は最小限にそぎ落とされて、若い二人だけを軸に物語をぐいぐい進めていく力がある。
裕福な家に生まれたけれども、両親からの愛情に恵まれなかった治貴は、賢さと強靱な意思をもって、香子と幸福な家庭を築くことを夢見る。香子の方も、平凡な家庭に生まれたけれども、留学先で出会った治貴を支えるためにアメリカで働くことを決める、芯のある魅力的な人物である。「強い心と強い(こわい)心は違う」という表現が作中になんどか出てくるけれども、困難に見舞われつつも、自分の心をどう扱うべきかよく知っている女性だ。
どちらかが大きく変わったわけでもない。かつて憧れとして語りあっていたイメージそのままの家を手に入れ、子どもも授かったのに、二人の関係性に少しずつ翳りが差してゆく。むしろ、治貴がいつまでも前を向いて走り続けることに起因する、その関係性の変化が切ない。
香子の回想から現在に戻り、あっけなくも思える美しいラストシーンがあり、物語は終わる。
再読してみて、作中の治貴の行動のことを唐突に感じたりもした。彼を「ひどい」と断罪することは簡単なんだけれども、それこそが人間のどうしようもなさなのようにも思えた。かえって、どちらかに明らかな非がないからこその別れというものも世の中にはあるだろう。
幸福だった思い出も、苦い思い出も含めて、若い頃の人間関係のことを少しかすれた色合いで懐かしく思い出すような、そんな読書体験だった。
ところで、読書アドベントカレンダーを機に、ほかの鷺沢萠作品――『F 落第生』と『ウェルカム・ホーム』も読み返した(会話文の多い比較的読みやすい文体で、物語の設定も複雑でないので、疲れていてもするする読める)。
『大統領のクリスマスツリー』は、海外で比較的「成功」した夫婦の物語だけれども、鷺沢萠といえば『F 落第生』という作品タイトルに象徴されるような、なかなか「うまくいかない」ひとたちをよく描いた作家というイメージがある。
『F 落第生』の「シコちゃんの夏休み」は今読んでも良い短編だと思った。ガッツのある女の子、シコちゃんが唱えていた「人生プラマイゼロ説」は、作家鷺沢萠の人生を考えたときに少し複雑な気持ちが残るけれども、今も自分の中でなんとなく生き残っている。別の短編で出てくる台詞「涙って、流れるんでなくて噴き出すんだよ」も、ちゃんと覚えていた。
『ウェルカム・ホーム!』は、血のつながらない「家族」のゆるやかで温かいつながりを描いた彼女の最晩年の作品で、明るくて読みやすい。20年前の作品なので、さすがに「今の時代、この表現はないかな」と思う部分や、「今の時代ならここまで説明しなくていいかな」と思う部分もあったけれども、「渡辺毅のウェルカム・ホーム」の終盤で登場人物たちが食卓を囲んでいるシーンは、笑いと幸福感に満ちあふれている。ちゃんと技量のある漫画家が、表現を見直しながらコミカライズしてくれれば、すごく良い作品になるんじゃないかなあと思ったりする。
個人的に彼女が書いたもので一番好きなのは、『海の鳥・空の魚』のあとがきの文章だ(これも、はじめて鷺沢萠作品に出会った時に、若い国語の先生が紹介してくれた文章だった)。
「ーー神様は海には魚を、空には鳥を、それぞれそこにあるべきものとして創られたそうだが、そのとき何かの手違いで、海に放り投げられた鳥、空に飛びたたされた魚がいたかも知れないーー」
うまく生きられない人びとに心を寄せて、彼らの不器用な愛情と「悪くなかった瞬間」をたくさん書いてくれた作家だったと思う。人が「不器用」であることに寄り添ってくれた作家として、これからも時々読み返すと思う。