W15 2024.4.8 - 4.14『パスト ライブス/再会』『人生って、素晴らしい Viva La Vida』他

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仕事が落ち着き、喜び勇んで連日映画館に行ったり展覧会に行ったりしていたら遅れて疲れが出てきたのか日曜日はリンパが腫れて一日ダウンしてしまった。子供の頃からよく疲れすぎるとリンパが腫れるのだが、今回はかなり久しぶりで多分5,6年ぶりだ。一度なるとその後にしばらく繰り返す傾向があるから厄介だ。

体調を崩したのもありランニングは4回で計20kmだった。

土曜日は応援するチームの試合があって、それはダービーだった。自分はここ数年の間に応援するようになった、どちらかといえばまだ新規ファンなので、因縁にはあまり何かを感じることはないのだけれど、相手憎しの感情が表に出てしまってわざわざ"嫌い"であることを表明する人たちの様子が目に入ってくるのはしんどいなと思う。嫌いであれば触れなければいいのに、対戦するとなるとそうもいかないのだろうか。こういうことに限らず、自分を他者に説明する言葉に嫌いなものを選ぶ人は苦手で距離を取りたくなる。何か威圧的なものをそこに感じるし、先に"嫌い"を言っておくことで他者に配慮されることを望んでいるかのようなところに横柄さも感じる。Not for meだと思ったらそっと距離を取り、そのことは口にしないのがよいと思う。無闇に発するネガティブな言葉は物事をよくない方向に引っ張ってしまう。

昨年あったダービーでは相手方の応援席で危険な行為があり、運営者による行為者への対応があまりにもお粗末だったので憤りを感じた。運営者が危険行為に適切な対処を取らないことは自分が好きな世界全体へ悪い影響を及ぼしてしまいそうで、好き嫌い以前の話だった。

映画『パスト ライブス/再会』

韓国映画。あまり選ばないタイプのラブロマンスものだけど、A24製作でこの手のものは珍しいなと思って観てきた。

ベッタリとした恋愛ものではなく、人と出会うという事はどういう事なのかが主題であったように感じた。それを「イニョン」という韓国の言葉で繰り返し表している。作中でそのようには訳されていなかったと思うが、日本語だと「縁」だろうか。人と人が出会うのは前世で繋がりがあったということであり、繋がりは袖が触れ合うだけでも発生する。8000層のイニョンが重なれば2人は結ばれる。今世で会った2人はもちろん来世でも関係を持つので、現生で別れたとしても繋がりが消えるわけではなく大切な相手は大切なままである。

自分にももう死ぬまで会うことはないだろうなとは思うけれど大切に思い、幸せに過ごしていて欲しいと思う人たちがいる。何かの折に幸せであることを伝え聞くと自分も幸せな気持ちになれる。かつての自分は、愛すること=側にいることと考えがちであったけれど、それだけではないよなと心の中で噛み締められる作品だった。

上映時間はそれほど長くない作品なのだが、ゆったりとしたシークエンスが続くある意味贅沢な映画だった。そのゆったりとした雰囲気を作り上げていた音楽が素晴らしくて、観賞後はサントラを繰り返し聴いている。

映画『人生って、素晴らしい Viva La Vida』

中国映画。上映館数が少なく都内も1スクリーンのみで一週間限定公開だった。予告を見て気になったので観られるうちに観ておこうと初めてグランドシネマサンシャイン池袋に行ってきた。しかし、その後に全国上映が決まって新宿でもこの後上映するようだ。まあ、池袋はあまり馴染みがなくて避けがちなので、こういう機会に行けてよかったと思う。

腎臓病を患った主人公のリンミンと脳腫瘍を患ったリュト。リンミンが自暴自棄気味になって闘病コミュニティへ投稿した動画をきっかけに知り合う。リンミンは腎臓を提供してくれるドナーが必要で、リュトは自分がこの世を去った後の母親が心配であり母親の面倒を見てもらえるのならば腎臓の提供も辞さないという点で、2人には利害の一致がある。そこには勿論、倫理観の欠如が伴う。タイトルからして物語がどう転がっていくのかはなんとなく見えてしまっているのだが、この主演2人の演技がとても可愛らしくて力強くて素敵だった。

この作品では、人は生まれる前に人生の脚本を選ぶことができ生まれたと同時にその脚本の内容を忘れるというセリフがある。もしそうなのだとしたら、辛い状況に陥った時になぜ自分はこの脚本を選んだのかと理解に苦しんでしまいそうでもあるが、自分で選んだのだから辛い現状の先にはきっと希望があるとも考えられる素敵な考え方だなと思った。

映画『コットンテール』

日英共同製作。リリーフランキーと木村多江といえば『ぐるりのこと』のコンビだ。この作品でもリリーフランキーは木村多江の面倒をみる。日英共同製作とは言っても監督は日本の大学を出た人らしいので影響を受けているのだろうか。

感傷的でストレートな作品だった。妻に先立たれやさぐれる夫、妻がいなくなったことで息子と息子家族との距離感を掴めない父。とても日本的だなと思った。リリーフランキーの存在感がとにかく圧巻で、自分が父親に対して持ってしまう畏れに近いものをスクリーンから感じられた。

『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本

板橋区立美術館に会期ギリギリに行ってきた。少し行きづらい立地で「遠路 おつかれさまです」の幟にくすりとしてしまった。

フランスでシュルレアリスム宣言がされたのが1920年代。少し遅れて日本にものその流れがやってきて多くの作家が作品を発表している。盛り上がりは戦中・戦後の激動の時代に重なっていて、戦時下にはシュルレアリスム表現は危険思想とされていたらしい。ひと目見ただけでそれが何を意味するのかを推測することは難しい作品がほとんどなのだが、じっくりと見ているとその想像力と世界観を作品として仕上げきることにとても感心する。出展されている作品の作者の多くの没年が1944年1945年となっていたことにずっしりとしたものを感じた。

来週

  • 高校時代の友人たちと旅行の予定があるので楽しみだ。それまでにリンパの腫れが治るように養生する

  • 体調が戻っていたら『異人たち』を観に行きたい

  • とりあえずゆっくりのんびりと