この週報は自分が見たものを振り返るのに便利みたいな感じになってきているので、振り返りが楽になるようにタイトルにその週にみたものを入れることにする。
忙しかったり体調を崩したり旅行だったりでイレギュラーな過ごし方をしていた数週間が終わり、通常の過ごし方に戻ってきた。ランニングは5回で25km。今週は多めに4本の映画を観た。
映画が好きで映画館に観に行っているのはもちろんなのだが、映画館で映画を観るという行為自体が好きなのだなとしみじみ感じている。外界をシャットアウトして、ただ作品を鑑賞するだけに集中する2,3時間というのがスマホ登場以降は自分にとって価値が上がり続けている。
今週、義母がグループホームに入居した。長く一人住まいをしていたのだが、だいぶ前に脳梗塞を起こし、それ以降認知症の気があり、配偶者はきょうだいで協力してケアをしてきていた。義母には愛犬がいたのだが、2年前に亡くなり、それからは症状の進みが早くなったように感じる。明るく、人と話すのが好きな人で、嫌な症状の出かたではないのだけれど、何かの拍子に大きな怪我をしてしまったり、迷って家に帰れなくなってしまったりしたらという心配は段々大きくなってきていた。配偶者ときょうだいは自分たちでケアをしなくなることに後ろめたさを感じていたと思うので、決断をすることは難しかっただろう。けれど、最善の選択をしたと思う。人に好かれる人なので、きっとうまくやっていけるだろう。うちからも近い場所にあるので、ちょくちょく会いに行くつもりだ。もしも、転居先でうまくいかなかったら自分がなんとかするつもりだ。
映画『異人たち』
山田太一『異人たちとの夏』の再映画化作品。観賞後に日本版の映画化作品を観たのだが、元の作品の構成や要素を活かしながら現代の作品として作り上げられていることに驚いた。元は世にも奇妙な物語のようなジャパニーズゴーストストーリーだが、同じ歳の親との交わりという骨子をうまく使ってクィアである登場人物たちの持つ葛藤をよく表現している。
映画『オッペンハイマー』
せっかくならばとグランドシネマサンシャインのIMAXで観てきた。チケットを取るのが遅れてしまい、前から6列目あたりになったのだが迫力はすごいものの、やはり近すぎて首を振りながら字幕を読むような感じだった。
世界中が注目するノーラン作品でありながら日本での公開は遅れたのだが、その理由は原爆の父であるオッペンハイマーの映画であるのに原爆被害の描写がほとんどないという事が主だったそうだ。たしかに、この題材で被害の描写がないことに異を唱えるのは分かる。だが、映画としてはオッペンハイマー自身を映し出す作りになっているので作品としての違和感は感じなかった。
ノーランらしい複数の時間軸を重ねて進める作りは目まぐるしく、これは映画ならではの体験だと思うのだが、どうしてもついていけなかったところもあったのでもう一度観に行こうかと考えている。
映画『マリウポリの20日間』
2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻の最初のターゲットであったマリウポリを取材していいたAP通信の記者によるドキュメンタリー作品。
侵攻が始まった初日、戸惑い悲観する市民に記者が「民間人は狙われないから大丈夫だ」と励ましていた言葉はものの数日で反故にされることになってしまう。もちろん記者は取り繕うためにそのように言ったのではないので反故という言葉は合っていないのだが、まさか民間人をターゲットにするような戦争犯罪行為が行われるとは思ってもいなかったのだろう。戦争自体が異常なことだが、戦争上の行いの中でも始まりの時点ですでに異常だった事が分かる。
上映中、ずっと胸が詰まる気持ちでいっぱいになる。こういったものを見ると何もできない自分が浮き彫りになってきて、やるせなくなるのだがきっと目を向け続けること関心を持ち続ける事が自分にできる最低限のことなのだろう。
映画『悪は存在しない』
濱口竜介監督作品。音楽は石橋英子。石橋英子のライブ用の映像の制作依頼を受けた濱口竜介がまず映画を作り、それを解体してライブ映像にするという方法を選択したという変わったプロジェクト。
主演の大美賀均は車両部のスタッフで、シナリオハンティング中に振る舞いから監督が目をつけ出演依頼をしたらしい。それにしてはとても雰囲気のある演技をしていた。
ストーリー自体はタイトルのままだと思う。個々としての悪は存在しないのだが、組み合わさって止められないものになっていくと最善の選択よりもプロジェクトの進行が重要視され、見落としてしまうものが出てくる。これは自分の身の回りでもよく見かける現象だ。特に仕事で大きなプロジェクトに関わると、プロジェクトを遂行する事が一番に置かれてしまい、本来の目的が軽んじられてしまう事がよく起こる。
車中の会話劇が印象的だった。よくある会話なのだが、そこに実際に体感した事がある楽しさやむず痒くなるような恥ずかしが浮き上がっていて、これを映像にできることに感心する。
この作品のオープンエンドに何を推しはかるかはすごく難しい。自分としては、その前までに話されていた鹿の話が主人公そのものになったのだろうか、とは感じた。だけれど、エンディングについては何も考えなくてもよいような気もする。これももう一度観ておきたい作品だ。
次週
ゴールデンウィークだが、配偶者は義母の引っ越し後の処理で忙しくしているし人が多いところにわざわざ出るのも面倒なのでいつも通りゆっくり過ごす
『辰巳』を観にいく予定だが、観られたら他にも
のんびりと開発を進める
今読んでいる『私たちはいつから「孤独」になったのか』が面白く、次週で読み終わりそう