夢を見ることと、醒めていること。

justjht
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大きな夢を持つ人の話を聞くのが嫌だった。また、遠く先の未来について語る人も苦手だった。ここにないものを語ることは、今ここにあるものを見失わせる。だから、そういったことを考えるべきではないと思っていた。

本当にそうだろうか?そこに具体性や客観性はあるだろうか?必ずしも必要十分の同一なものとして判断できるだろうか?

そうなのだ。実は関係ないのだ。何を思っても、何に憧れても、それ自体には一切罪はない。悪もなければ、害もない。そう思うことが「今ここ」を見失わせるのは、他でもなく自分でそれを選んでいるからだ。

大きな目標を持つことや、夢を見ること。それによって今ここが見えなくなるのではない。今ここを見ない方が楽だから、見ないようにするのだ。もしくは、今ここを取るに足りないものと軽視して、見ないようにするのだ。

だから、その二つの事象については、連動することはあるが、必ずしも同一ではない。その二つが結びついてしまう、人間のサガをよく分かった上で、そうならないように集中すること。それが大事なのだろう。

それは、まさに「修行」と言える。

望まないものを手にする必要は無いが、後先の可能性を考えて手を伸ばすことを躊躇うのは違う…と思う。何より、その考えでは自分を固定してしまう。流れていく自分を一箇所に固定している。混ざり合い続けるには、恐れずに進むことも必要である。

僕にとっての夢は何だろうか?何を夢見ずにはいられないだろうか?