仰向け、おののきのつららがへその裏側へ根を張りはじめた。眼前おぼろの影が輪郭をなぞり垂れた睫毛のふちどりを滲ませる。わたしは陶器のように暖炉脇、炎に照らされていた。つまりあの少女のようになっていた。あの少女。わたしがまだ孤児であったころ、うすあおい瞳の少女が背中を裂いてわたしに背骨を洗わせた。おさないわたしがからみつく粘膜からましろいそれを引き抜き軽く濯ぎ、光に翳すと列をなす白柱が半透明にほの光る。いくつものみぞ、ぬるい井戸水ごしに茶色のとろとろが絡んでいた。
背骨をぬかれた彼女は綿を抜かれた人形のようにひらべったく床へふせ、口はしから微細な泡のまじる透明な唾液を広げた。まばたきすら叶わず、右目の内側と左目の外側から同量のなみだが音もなく皮膚をなだらかにすべりおちた。
あのときの彼女のように、わたしの眼もとろとろとろなみだを流しつづける。
調整が必要だと、綿手袋のごわつきで額を掻くわたしに助言をしたのは、ともに働くあおじろい顔、痩身の青年だった。名は知らず、ひとびとからはニシとよばれていたがわたしがそう呼んだことはない。かれについては工房をとりまとめている一級者の弟子と紹介をうけたが、それはわたしもまったくの同じ立場だった。わたしもかれも三級のため、ふたりの違いといえばうまれもった性質、年齢、容姿や過去で、それらは工房ではまるきりないものとされた。手先のもつ樹木に似た可能性のこまやかさと、たったいま、過去の表皮に寝かせうる商品の在り方のみがわたしたちの個の色や輪郭のグラデーションを成し、その面でわたしとかれはほとんどおなじものと扱われた。いっぽうで同質のふたりをならべたとき、かれは躰のつくりにくわしかった。躰に現れる滞りがなにのめぐりあわせで、なにを示すのか、ひどく幅ひろい知識の体系をつねに意識のうらがわに生ぐさく息づかせ、服従させていた。わたしの動きをひとめ見たかれは、背骨をあらってきたらどうですと不愛想にしらせた。
粘土が外側からまろくひからびて陶器となるように、躰は静止にわりひらき伝播した。節々の軋みがひどい感覚だけれど、躰はまったく動かないのだからむしろじっさい軟体だった。
作業は黒黒とした髭に顔をうずめ、深みどりの長靴を履いた初老の男性と、白髪をてっぺんにまとめあげ、おなじく長靴を履いた女性によって、プラスチックの繊維を生やした取っ手の長いモップで行われた。かたほうが背骨をゆかと垂直にたて、かたほうがモップを棒におしつける。リズムを待たない適切なしぐさのせいで、音はいっそう音楽のようだった。
わたしが何年生きたかをわたしはしらないけれど、みるに背骨は打つ手のないほど黄ばみ、あの少女のものよりずっと歳をとっているとひとめで知る。あの頃、孤児のころと比べるには恥ずかしいほど歳をとったのだろうか。顔のかたちに触れようとし、動かず、いまは手の甲の皺をかぞえることすら許されないことをふたたび思い知らされる。背骨をひきぬかれた躰は、ほんもののからだ、肉体となって本来あるべきようにみずらからをおしつぶしている。
よっつの長靴は踊るように、うすよごれた床をふみならす。ひとつが背骨をまたぎ、ひとつは跳ねるように泥を越えた。燃ゆる薪を囲む夜風の狩人じみた祭日のステップ。うらはらに床につく背骨のほぞぼそした神経のきりくちがつぶれまいか、モップが背骨をへし折りはしまいか、とおい躰の懸念がふきこまれ、潰れた空洞を満たしてゆく。