刀剣乱舞 加州清光・修行

k0me
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私の初期刀、加州清光の乱舞レベルが6になりました。

彼はとうの昔にカンストし、修行への出立を願い出ていました。しかし、先述の乱舞レベルの件に加え、初の彼をもう一振育てる余裕がないことを理由に、本丸に留まっていてもらいました。修行に出る、つまり極めて帰ってきた男士は、もう初の頃に戻ることはありません。隊長に任じたときやお守りを渡したときの言葉は、もう二度と自身の本丸で聞くことが出来ないのです。故に、初の彼との親交を存分に深めてから修行に旅立ってもらおうと思っていたのです。

さて、乱舞レベルが6になったことにより、彼が私にくれる言葉を全て知ることが叶い、修行に向かわせるにあたっての懸念点の一つが解決しました。しかし、もう一方の懸念点は解決の兆しが全く見えません。私は加州が好きなのですが、その加州というのは、つまるところ『初の加州清光』であり、その彼とお別れをするのは酷く寂しいことだと感じたからです。不思議と、帰ってきた彼を受け入れられないかもしれない、という憂いはありませんでした。実感がなかっただけかもしれません。そうして、一日、また一日と決断を先延ばすなかで、私はとある壁の存在を思い出しました。

美濃(青野原)の攻略です。

私は臆病な性質なので、新しい合戦場に赴く際には先人たちの知恵をお借りするのですが、美濃の攻略にはかなりの苦労を要する旨が多く記載されていました。極めた打刀の採用が肝要である、とも。

この壁にぶつかったのは前のことであり、まだ加州の乱舞レベルも低かった頃のことですので、すっかり意識の外に追いやってしまっていました(越えられない壁に阻まれた悔しさを忘れるためでもあったのでしょう)。その存在を思い出し、乱舞レベルが6に至った加州を見つめたとき、彼に修行へ向かう許可を出すと決めました。この壁を壊すとき、加州清光に共にいて欲しいと思いました。

勿論、彼ひとりだけの力では美濃を攻略することは出来ません。壁の存在はきっかけに過ぎず、結局のところ、私は今の彼に会えなくなる寂しさと同じだけ、新たな彼に会える喜びを抱いていたのです。だって、新しい彼は、私が今大切にしている『初の加州清光』の延長線上に立つ、同じ『加州清光』なのですから。

加州を修行に向かわせてすぐ、少しだけ後悔しました。やはり、初の彼と親交を、思い出を、もっとたくさん作るべきだったかもしれない……と。しかし、今更私が何を思おうとも、それらは後ろに立っており、覆水は盆ですくえません。気持ちを切り替えて眠りにつき(日付を超えた頃に彼は旅立ちました)、目覚めてしばらく後、少し寂しくなりました。また、イベント中ゆえに編成変更を頻繁に行っていたのですが、その度に目に入る『修行中』の加州のアイコンが、私をなんとも言えぬ思いにさせたのです。しかし、それは『初の加州清光』に会えなくなった悲しさなどではなく、単純な、彼が自身の本丸にいないことに対する妙な実感でした。思えば、初期刀に加州を選んだ私の本丸には、最初から彼がいました。つまり、私の本丸とは、当たり前に加州を含めた存在であり、今の本丸は、私の知らないものなのです。その『知らないもの』も『私の本丸』の一部である、と認識し直したとき、改めて、私は『初の加州清光』と『極の加州清光』を同一視していると知り、安心しました。それでもやはり、寂しくはありましたが。

届いた手紙の一通目は、ここに残す感想が他にないほどに『加州らしい』の一言に尽きるものでした。クールで、あっさりしてて、でも決して冷たくはない、そういう彼が好きなので、とても嬉しかったです。

二通目、寂しかった心がお見通しなことが少し恥ずかしく、でも『そろそろ』どころか初日からそうだったんだ、と言ってやりたくなり、もしかしたら、あの言い方には、彼の強がりとか、照れ隠しとか、不安とかが現れているのかもしれない、と思い、ずっと持たせていたお守り・極を返すときが待ち遠しくなりました。刀剣男士たちは、日々の戦いのなかで元の主を救う機会を目の当たりにし、そしてそれをことごとく棄却していますが、今、加州は自分自身を救う機会をその手にしているのだと思うと、もう、それでいいのではないか、という気さえするのです。

私の浅はかな考えを、最後の手紙は見事に否定しました。今の加州は過去の積み重ねの上にあり、一つでも欠ければ彼のかたちは全く異なるというのに、彼が愛して欲しいと言うのは今の彼なのに、何故それを忘れてしまったのか。私は、私が知らない彼らに対して、どうしても臆病になってしまうようです。己が情けない限りであり、そして彼の潔い眩しさに目が眩みました。重ねて情けなかったのが、私は、彼が一番を欲していることを知らなかったことです。彼が愛されたがっていることは知っていたのに、何故かそこに辿り着けていませんでした。愛を求めるものが最後に行きつく場所が『一番』であることは何も不思議ではなく、むしろ必然である、とすら思うのに、何故私は思い至らなかったのか。

私は加州のことが好きですが、刀剣男士は皆好きです。皆のことが好きで、一番なんて決めていませんでした。ただ、加州は私の初期刀で、少し特別で、でも、少し特別なだけでした。

そんな、私にとって少し特別なだけの加州清光は、私の一番が欲しいらしいのです。私の一番を獲りに帰ってくるらしいのです。あと数十分で、私の一番が、決まってしまうのかもしれないのです。

ああ、夢でありますように!

(2024/2/16)