年度末が迫り、気付いてみれば四年に一度の閏日となってしまったけれども、少し前の話をしても良いかな。
年末年始に実家へ帰った際にもLaputaが載っていた雑誌やらファンクラブの会報の発掘作業を少し行ったのですが、昔の会報(4Lになって最初の頃とそれより以前)を見付けられなかったんですよね。実家は東日本大震災で被災したので、その時に棚ごと倒れ落ちて割れた幾多のCDたちと共に間違って廃棄してしまったのかもしれません。無念。
雑誌の切り抜きも震災時に本棚やラックから飛び出して傷付いたりボロボロになったものから急いでページだけを切り抜いたようなものが多くて、これはどの雑誌の記事だったかなぁ……と思いながら紙質で雑誌を推測したり、内容から大体どの時期かを確認したり。
あの頃の所謂「'90年代V系」に特化していた音楽雑誌というと『FOOL’S MATE』『SHOXX』『Vicious』が御三家みたいな印象がありましたね。あとは『ロッキンf』と『M GAZETTE』と『UV(ultra veat)』と『GiGS』をチェックして置けば良いだろう、みたいな。
結局 正月早々の大きな地震で気持ちが落ち着かなくなってしまい、中身を詳しく確認できなかった会報や切り抜きを少しだけ持ち帰って来たのですが、先日その中から面白い発見をしまして。これはメジャー1stアルバム『蜉〜かげろう〜蝣』がリリースされた'96年頃の雑誌のインタビューから一部抜粋したものなのですが、
そして次が6年後のファンクラブ会報に掲載されていた、'02年の日比谷野外音楽堂で行われた音楽イベント『stylish wave ILLUSION '02』のライヴレポートに載っていたMCの抜粋です。
こうして時期が離れた記事を見ても、Laputaって根幹となる部分は基本何も変わっていなかったのだなぁ……と思いまして。
今、自分たちが一番格好良いと思ったものを「音楽」という形にする信念は最初から最後まで曲げること無く、そんな彼らに惹かれ、何より彼らの「カッコいい音楽」を信頼していたからこそ、音楽性が変化してもCDを買ったりライヴにも行き続けていたんですよね。
勿論 途中で離れて行った人も居るだろうし、活動休止後に存在を知った人も居るだろうけれども、所謂ヴィジュアル系にカテゴリされていたバンドの中でも、これだけ音楽性の間口が広い存在は他に居ないんですよ。それって物凄く贅沢な話で、誰がどの時期のLaputaを一番好きでいてもいいという懐の大きさみたいなものがある。それがどんなにありがたい事か、今となってひしひしと感じております。
今宵は『蜉蝣』のアルバムでも聴いて、いよいよ忙しくなる年度末に向けて気合を入れ直しておきましょうかね。