「素晴らしい」
キッチンで昼食の準備をしていたネロは、突然後ろから投げかけられた声に驚き、肩が跳ね上がった。
反射的に背後を振り返ると、ラスティカが満面の笑みを浮かべて立っている。
「婿さん……驚かせんなって」
「それは申し訳ない。クロエの部屋に行こうとしてたのだけど、素敵なメロディが聴こえたものだから、つい引き寄せられてしまいました」
「え? メロディって……?」
ここはキッチンだ。あるのは包丁やお玉などの調理道具で、楽器などは置いていない。音楽との関連性は薄いだろう。
「聞き間違いじゃないか? 空耳とかさ」
「いいえ。確かに聴きましたよ」
ラスティカは上品な笑顔を崩さない。
「料理をしている貴方から、楽しそうな鼻唄を」
「鼻歌かあ。ついする時があるんだよな」
「とても楽しそうで、伸びやかで……聴いているこちらの心が弾むようです。ここに賢者様がいれば、さらに素晴らしいハーモニーが響き渡ることでしょう」
「ちょっと待った?」
ネロは手を前に出して、ラスティカの言葉を遮る。
「どうしていきなり賢者さんが出てくるの?」
「おや、気づいていませんでしたか。貴方が奏でる調べと、賢者様が以前口ずさんでいた歌が、とても似ていたから知っているものばかりかと」
「あー……うん」
ネロは赤くなっていく顔を隠すように、手で口元を覆った。
――楽しくなっちゃうとつい歌っちゃうんですよね。
横でネロの手伝いをする晶が心弾むような楽しさで奏でる鼻歌。
それが本当に楽しそうにネロの鼓膜を揺らすものだから、つい覚えてしまった。
――ネロ本人も気づかないうちに。
「ネロ。次に料理の準備をする時、賢者様が手伝うなら、ぜひ呼んでください。貴方がたが奏でる歌を、チェンバロの音でより華やかにいたしましょう」
「いや、しなくていいから!」
ネロは赤みがひかない顔から情けない声を出しつつ、ラスティカを止める。
無意識って怖いな。指摘されるまで、晶の鼻歌が伝染してた事実に気づかなかった。
そして、そうなるほど、晶が側にいるのが当たり前の日常になっていたことにも。