ヒーロー

kagari
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職場の隣の席の男の子が、昨日の朝、定時に現れなかった。と思ったら電話がかかってきて、電話を取った上司に寝坊しました、とでも謝るのかと思ったら「痴漢を捕まえたので事情聴取を受けています」と話しているという。

えらいこともあるもんだな(この「えらい」は「たいへん」の意味ではない)、そういう人が大多数の世の中であってほしいよ、と思いながら、わたしは出張に出かけた。数件アポ無し訪問をしなければならない予定があったのだ。その道中コンビニに寄り、「こういう時には彼のことを労うべきでは?」と思いつく。

飲み物か、お菓子でも差し入れしようか。たぶん、事情聴取とかってめちゃくちゃ面倒くさいだろうし。メリットとかもたいしてないだろうし。「めんどかったから次から助けるのやめるわー」とかなると困る。なんかちょっといいことあったじゃん、の「いいこと」の数パーセントくらいにでもなれるって、けっこう良くない?

そう思って小袋のお菓子を買った。コーヒーとか飲んでるとこ、見たことがないので。差し入れの定番って飲み物な気がするけど、苦手なもの飲むのって苦行だし。ていうかふだん何飲んでるんだろう。隣の席なのにまったく覚えていない。わたしは何を見ているのか。何も見ていないのか。でも、彼がとある銘柄の小袋菓子を食べていたところは記憶にあるんだよな。だから買った。それ覚えてるってことは飲み物も見てるはずだろ。記憶にないということは、彼は仕事中に水分をとらんのか。んなわけあるか。

ところが、職場に戻ってみると、もう戻っているはずの彼の姿はなかった。再出勤中にもう一人捕まえたりした?と思ったがそんなこともさすがになかった。「来たけどすぐ帰ったんだよ」と上司が言う。「事情聴取が大変で疲れちゃったんだってさ。同じ話を何回も何回もした、って言ってたよ」

わたしは心の中で労って、彼のデスクの上に買ってきたお菓子を置いた。不審物だと思われると困るので、ちゃんと差出人を書いた付箋もつけた。よくあるんだよね。休み明け出勤してみるとデスクの上に小袋の菓子が置いてあって、まあ旅行とか行った人が配ってくれたやつなんだけど、もしかしたら百に一つくらいは「そういう配られたお菓子」を装った危ないやつ、とかかもしれないわけで。わたしの場合危機意識がザルなのでだいたいパクッと食べちゃうんだけど、彼はわからん。疑念を抱かせるのもよくない。なので、名前入りの付箋だ。これで安心して食べられるはず。でも……「逆に無理だわー!」とかだったらどうしよう。その時は「逆の逆にお菓子に罪はないんで!」とでも言おうか。「逆に無理だけど、それでも食べたいくらい好きな菓子」とかだったらよいか。おお、それはとてもよい。一挙両得。一触即発。一蓮托生。

次が絶対あるように、今度機会があったら好きなお菓子を聞いておこう。ポテトチップスです、とか言われたらどうしようか。職場で配ったら邪魔だし、書類仕事に向いてないことこのうえないすぎるな。