小さなころから何もなくしたくなかった。
大切な宝物、それはありふれたガラス玉やしましまの石ころ、古いコインや水晶のかけらでしかなかったけれど、小さな箱に収めては夜ごと「そこにあること」「なくなっていないこと」を確認して眠った。
いつの間にかそんなありふれた宝物たちはどこかに消えてしまった。
けれど、「何もなくしたくない」という気持ちは変わらず、どころかより強くなって胸のうちにある気がする。
たとえば、目の前のこの男を失いたくないと歯を食い縛るように。
「わたしのこと、許せない?」
「……許せないというか、悲しい」
「わたしはきみが好きなの」
「僕もだよ。だから悲しい」
悪いのはわたしだ。浮気をした。いけないとわかっていてほかの男とずるずるしたつきあいを続けた。でも彼に飽きたわけでも、嫌いになったわけでもない。どうでもいいのは浮気相手のほうだし、そう告げた上でずるずる関係を持っていた。最悪だ。裏切ったのはわたし。
泣いてはいけない。涙なんかこぼしたら最悪の上塗りだ。
でも、熱い。裏切りをわかっていたつもりで、まるでわかっていなかった自分の情けなさで、目の奥が焼けそうだ。
「好きなの……」
「うん」
彼は言葉少なに、わたしの好きなミルクティーをすすった。すっかり冷めきっているだろう。わたしのぶんも。
「そのひとも、同じくらい好きなんだろ」
「そんなことない」
「でも、あんたは優しくて情の深い人だから」
「きみがいちばんだよ」
からからの喉に薄っぺらい言葉が貼りついてえずきそうだ。
「ごめん、やっぱり僕、しんどいよ。好きだから」
なにが言えるというのだ。どこまでも優しくて、わたしのことを好きでいてくれて、わたしが裏切った、大切で大好きな人に。
「離れたほうがいいと思う」
彼もうつむいていて、言葉はかすれている。
「いまは、そうかも」
わたしは震える声を絞り出す。
「でも、おしまいにしないで、いつかまた一緒にいられるようになるって、嘘でもいいから言って」
最悪の涙がぼろぼろこぼれる。みっともなくすがらずにいられないほど好きなのに、どうして浮気なんかしたんだろう。
「……うん、じゃあ、またね」
彼はやさしく苦く微笑んで、本当にそこまで出かけるような軽やかさで、ふたりの住処をわたしひとりのものにした。