塔のてっぺんには狂気に堕ちた姫君がとらわれている。
そんなおとぎ話めいた建前で、窓から飛び立つ真っ白な鷹を見た人の想像力を封じ込められると思っているなら笑い話だ。
幸いにして、塔のふもとの村人たちはその神秘的な翼に見とれることはあっても、くちばしの目指す先に誰がいるのかまでは知らない。知り得ないのだ。この小さな寒村に生まれた農民は一生をここで終える。王都から使わされた警固の兵士たちはそんな農民をバカにして、彼らの見たという真っ白な鷹の話を信じない。農民たちも兵士を快く思っていない。
だから、姫君にとって唯一の外界とのつながりは今のところ安泰だ。
いつ、このやりとりが兵士や、その上官、さらに王都の貴族に伝わって断たれてしまうかわからない。姫君はいつも終わりの日を思って過ごしていた。その終わりは、姫君がみずから勝ち取るのか、塔の外からもたらされるのか。
白い鷹は音もなく滑空して窓辺に止まる。ぎょろりと金色の目を姫君に向けて、くちばしをカチッと鳴らすと、その喉からしわがれた老人の声が言葉を紡ぐ。
「エルクルステン大公、いよいよ病重く、公子たちの争いやまず。大公妃と愛妾、しきりに立太子を促すも、大公の意志、黙されてあり。おそらくは、公子のほかに思いあり」
姫君はまどろむように窓辺の椅子に背を預けて鷹の言葉を聞き、ぼんやりと中空を見つめた。
「エルクルステンの公子は凡愚ばかり。どこかに隠し種がいるのね。大公妃にも愛妾にも左右されない、大公位を譲るにふさわしい人が」
カチカチと鷹がくちばしを鳴らす。
「しかれども、大公の意、形なさずにみまかれば、大公位は第一公子のもの。いずこにか遺言のたぐいあらん」
姫君はゆっくりと身を起こして立ちあがり、書き物机の引き出しを探って手帳を取り出した。ページを繰り、顎に指先をあてて思案する。
「大公が信頼していて、遺言を預けられる人。さらに、大公妃や愛妾に握りつぶされず、遺言を実行できる人」
姫君はすりきれたドレスの裾をたぐって椅子に腰掛けると、幾枚かの書状をしたためた。
「これはふくろうの小母様に。こちらは鴉のお姉様に。これは、燕の兄様に」
一通ずつ差し出すと、鷹はくちばしを鳴らしてひとつずつ飲み込むように書状を消してしまう。姫君のささくれた指先で白く輝く羽毛を撫でられ、鷹は満足げにうなずいて空へ飛び立った。
エルクルステン大公が位を譲ると決めた人を見つけ出し、後見につくことができれば、そこが姫君の居場所になる。数年にわたる幽閉生活の前にふくろうの魔女のもとで修行を重ね、近隣の国を渡り歩いて各地に人脈を作った姫君にとって、それこそが起死回生の策だった。
血筋は汚された。祖国は奪われた。けれど、知恵は誰にも奪えない。
遠ざかる白銀の羽ばたきが、反撃の嚆矢となるように、姫君はかすかに唇を笑ませて見送った。