労働にまるで向いていない。
誰かの役に立つのは好きだ。自分がしたことが誰かの役に立つのは嬉しいし、そのために多少なら何かしら犠牲を払うこともかまわない。
でも「労働のために我慢する」「賃金のために時間や精神を削る」のはまじで無理。それが回り回って誰かの役に立ってるんだと言い聞かせても無理なもんは無理。
だいたい「労働」ってものは思考停止のかたまりだ。労働のために10身を削ったら、そのうちちゃんと人の役に立つのは2くらいで、あとの8は「仕組みを維持すること」や「上の人間の満足」に支払われる。
もちろんその仕組みにしか生かしてもらえない人もいる。まったく役に立っていないわけでもない。でもわたしはわたしの削った心身が8割どっかいっちまうことに耐えられない。
占いや、自分の活動で人に喜ばれる手応えを得てしまったからなおさらだ。
10払って10ぶんの手応えが返ってくることを知ってしまったら、もう労働の中に組み込まれることには耐えられない。
手数料にも意味がある。労働に組み込まれるのも悪いことではない。ただわたしにはまるで向いてない。
おまけにわたしは向いてないことを無理してやるとわりとすぐ破滅的なかたちで限界を迎える。「このくらい平気だ」と言い聞かせてはじめたことが本当に平気だったことはぜんぜんない。
だから、もっと真剣に自分の心が喜ぶことだけしていなくては。
世界との折り合い、永遠につきそうにないな。