人の善意を食い潰して生きているのではないかという恐怖

伊藤はと
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いや〜〜〜〜〜今回もたいがいやっちまいましたね。

Twitterではほどほどに騒ぎましたし、直接会った人にはだいたい事情を説明した気はするのですが、あらためて経緯をひとことでいうと

「持病の薬を自宅に忘れ、29日に開いてる病院に駆け込んで処方してもらったものの、保険証がないので十割負担+休日加算が倍率ドン!所持金ほぼ消滅!!!」でした。

所持金はほとんど犠牲になりましたが、持病の薬がなんとかなったおかげで身体も動いて元気にFF14のファンフェスまで全部楽しめました。は〜助かった(なにもたすかっていない)

さっきちょっとTwitterでも言ったんですけど、もし出発時に帰りを見越して多めにSuicaチャージしてたら薬代払えなくて死んでたかもしれないんですよね(ここでいう「死ぬ」とは、息はしているが寝床から起き上がることができず当然帰りの飛行機にも乗れないことをさす)

だからまあ、明日も羽田までの電車賃しかないけどとりあえず帰りの飛行機には乗れるから助かったのかなって。

よかった探しのプロとして生まれたのか?????

そうかもしれん。てれちゃう。

でも今回もめちゃくちゃいろんなひとにめしおごってもらったり鑑定させてもらったりしてすっっっっっげ〜〜〜〜〜助けられました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

助けられたという意味では生きるほど助かっている。

ただまあ、こういうことも何回もあるとやっぱわたしとしても不安です。

しょうがないな、でめしおごってくれる人はそりゃ〜いるけど、そんなん永遠なわけないじゃないですか。

わたしは何回でもこういう自分の失敗によるピンチに陥るし、そのたび優しい人に助けてもらっている。

それは人間関係の焼畑農業みたいなもんじゃないかと思います。

迷惑かけたくてかけてるわけじゃないんですけど!

ていうかわたしに稼ぎと余裕さえあればわたしみたいなうっかり八兵衛にめしをおごって金を貸すくらいの気概はあるんですが、稼ぎも余裕もゼロどころかマイナスなんだよな。

わたしが貧しいのがわるくない?

貧しいのもだし、貧しいのに収入に見合った暮らしができないのがわるい。

でも収入に見合った暮らしってどんなんでしょうね。全然想像つかないわ。

月13万でできる暮らしを5年以上続けて、わたしは死なないですんだかわからないし、その暮らしから抜け出そうという意欲を持ち続けられたかわからないし、病気がこんなふうに安定したかもわからない。

そもそもできないことの仮定なんかしても無駄ですね。

悪かろうが迷惑だろうが焼畑農業だろうがこのように生きるしかなかったし、これまでこのように生きてきたのです。

あらためられるかな……。わからん。すくなくとも一度年金の半分以上が入ったその日に消える暮らしになってしまったらリカバリーは難しいです。

そうか、リカバリーできるまでだけでもつましい暮らしすればいいのかな。でもこらえ性がないんだよな。たぶん3ヶ月くらいで破綻すると思うし、その間入る年金は多くて2回です。

なんつ〜か金勘定もできないというよりは「すると気が狂うのでしないようにしている」というのが正しいし、つましく暮らしてひとりで狂って死ぬか、満足いくように人に迷惑をかけながら狂って生きるかだったら周囲にはごめんだけどわたしは生きていたいんですよ。

あとまあ生きてればいつか稼ぎを安定させて誰かに貸せる金もできるかもしれないし。

まともな暮らしと金勘定な、できたらよかったよな。

どうあがいても無理なのですみませんが生きさせてください。

うーん、命を持ち出して大騒ぎして脅して金をせしめているように見る人も多いだろうな。

わからんな。本当にそうかもしれないし。

わたしが我慢しなくてもなんとかなってるのはどう考えても周囲の善意と厚意のおかげなんですが、じゃあ周囲に迷惑かけないように我慢できるかっていうと、我慢……なにを、どれだけ、どのように我慢するかにもよるかもしれない。

なにを、どれだけ、どのように我慢すれば周囲に迷惑かけずにすむのか、さっぱり見当がつかないですね。

我慢しても死ぬことはないかもしれない。できたことがないのでわからない。

ただ、我慢をせずにやりたいことをしたときに、泣くほどほっとするくらいなので、たぶん無意識にも我慢をしていることはたくさんあるし、我慢をしないで周囲に迷惑をかけながらしたことで後悔したこともない(迷惑をかけたことは申し訳ないと思う)

前ちょっとお話したこともある気はするけど、わたしが無茶をして失敗して大騒ぎするときって、だいたい「もう我慢の限界だし好きに生きることを許されたい」ときに無茶をはじめて失敗して大騒ぎしている。

好きに生きたいんだよな。ごくふつうに。

それはみんな収入に限りはあるし全部を全部好きにできるわけじゃないのは同じだろうけど、なにひとつ好きにできない状況ってそんなにいつまでも続けられるものだろうか。

(ここでこんなことを言うと反感を買うだろうけど、「誰だって同じ条件で頑張っているんだからお前だけ甘えるな」みたいな言説は反吐が出るほど嫌いで、同じ条件で頑張ってる人なんかこの世にひとりもいない。誰だってその人だけの条件で頑張っている)

いろいろな配慮や支援のおかげで、好きにできていることもたくさんある。

だからどうにかまだ生きている。

でも、たぶん「ちゃんと生きている」と感じられるためには、もうちょっと収入が足りないんだろうな。

わたしが「ちゃんと生きている」と感じるために必要なことを必要としない人もたくさんいると思う。でも、それはわたしの生きる条件が贅沢や高望みだということの理由にはならない。

そうかな?わからん。わたしは贅沢で高望みなのかもしれない。

でも贅沢や高望みをやめて、生きているとも思えないままに食って寝て起きるだけなら生きている意味もないなと思う。

まあだからといってすぐ死ねるような行動力もないので生きるんですが……

本当に死にもしないくせに死ぬ死ぬと騒いで金をせびってばかりの乞食なのかもな〜〜〜。それでも自分が生きてると思えるほうがいいな。

申し訳ないのはちゃんと申し訳ないので、今年はがんばって収入を安定させたいです(抱負)