プレイログ:FF14 パッチ7.1 メインクエ/アラレイド

輝夜
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※注意:全てに亘ってネタバレです。未クリアの方は読まないことをお勧めします。

メインクエスト

7.0終わったのが夏の暑い盛りだったので、気温の涼しさ(たまに肌寒さ)もあって「数か月経っちゃったんだなあ…」と思いながらプレイ。あれから7.0に関してはあまり良い評判を耳にしなかった。好意的な感想を抱く人も勿論居たがそれは少数派であり、残りは「う~ん…」派とはっきり「面白くない」派の意見がよく目についたように感じる。だからこそ、ここからどう来るんだろうという期待はあった。

葬儀についての選択肢は「敵だったから行かない」にした。あんだけお互いの主張をバチバチに突き合わせて戦って勝ったんだから、葬儀には行けねーでしょ…という気持ちだった。

ソ9民達が死に対して不安になるのって、我々のように死が身近にある文化だと「不安になるのは分かるけど…そこまで気にする?」という気持ちになるけども、ずっと死を避ける価値観の中で歴史を刻んできていきなり前触れも無く直面せざるを得なくなったら、なかなかしんどいだろうとは想像がついた。大人ですら折り合いが付かないのに、子供だと尚更。

不安が爆発しかけているところに不穏なスフェーンが現れた訳だけど、それはこれからなので楽しみにしとく。

それから、ゴッサンの声優さんがめちゃくちゃ上手くて感動した。ゴッサンの不穏な語り方(表示ではカタカナ交じり)を声で表現できるとは…ホント凄い。その分、現れたスフェーンの得体の知れなさがめちゃくちゃ伝わってきた。声優さん凄いなって常々感じてたけど、その歴史にまた1ページ。


そしてグルージャの生い立ち。7.0まで母親、もしくはゾラージャの相手が一切明かされておらず会話の端にすら出てこないので、もしかして:単為生殖…?と考えていた。でもバクージャジャにはちゃんと父母が居るので、それは無いか~と思いつつも全く出てこないことには違和感があった。今回で、ゾラージャは元から全く相手に興味を示していなかったし、生まれたグルージャはトラウマの源で無視するしかない存在だったと判明したので、一切出てこない辺りは納得した。

もし、グルージャが青い鱗で生まれなかったら…茶色、つまり普通のフビゴ族としてなら、ゾラージャも少しは何かを感じたのだろうか。そう考えていくと、マムージャ族自体がなかなかに呪いが深いというか…。「祝福の兄弟」たる双頭(今思ったけど「姉妹」は遺伝上産まれないのだろうか。「兄弟」でも相当にレアだから歴史を漁っても「姉妹」はいないってだけかも知れないが)を狙って産もうと思えば相当な犠牲が必要になり、無事産まれても一族が寄せる期待の重圧故に性格が歪んでしまうことは余裕であり得る。そして祝福の代償としての妊娠率の低下、それにも関わらず生まれた青い鱗のフビゴ族…呪いの連鎖から逃れるには「普通」の見た目で生まれるしかないのだろうか。

あとあの母親もね…ゾラージャから振り向いて欲しさに子供産みますって、子供を手段にしてることに嫌悪感が無い訳ではない。でも、もししばらく一緒に暮らしてたら母としての愛情が芽生えていたかも知れないし…と思いつつ、ゾラージャが全く寄り付かなくなったら「おまえのせいだ!」って罵倒しそうで鬱ではあった…。

それはともかく、グルージャ自身がその諸々をもう自分の中で収めてしまってるのもちょっと気になった。いい子過ぎるというか…幼いのに達観し過ぎというか。エレンヴィルが「これからだと思う」とは言ってたけど、それにしても…もっとこう、つらいって吐き出してもいいんじゃないの。


もう一つの親子問題で、コーナ兄さん(略してコナニキ)の過去が明らかになった。兄さんが何故家族から離れひとりになってしまったか、本当のところは不明のままだけど(あれはあくまで推測だから)本人が納得して気持ちの落としどころが出来たんなら良かったと思う。それが出来ることで前を向けるっていうのはあるし。

ていうか、黄金は親子の物語なのか?ずっと親子問題見てる気がする。

エコーズ オブ ヴァナ・ディール

エモエモのエモ!!!それに尽きる。

止めて15年位経過したゲームだから記憶のあらゆるところが抜けているにも関わらず、BGMを聴いただけで当時の感情が蘇るのだから音楽の力は本当に凄い(今でも歌えました)。当時ああだった、こうだった、と走馬灯のように思い出す世界は楽しかった。ヤクテル樹海からジュノへ移動できるが、そのジュノも大半のFF11プレイヤーが過ごした場所なのでエモさも爆発。ここ競売だった、天晶堂あったねぇ~、等々懐かしさが押し寄せる押し寄せる。NPCも僅かに話す影も、11プレイヤーなら分かる会話ばかり。ただ、当時PS2だったのでこんなに綺麗な街ではなかったな~とは感じた(笑)レイドの風景も「そうそうこうだった」と言うよりかは「こんなに綺麗では無かった気がする」だった。

あまりにもエモ過ぎて11の昔話をしずみーに書こうとしたけど、順を追って書いていくとどんどん恨みつらみのオンパレードになってきたので途中で止めた…。オンラインゲーム自体が少なかった頃で、辞めたくなっても他に乗り換えられなかったこともあってか運営から優しさを感じたことが少なく、とにかく無駄に時間をかけさせて離れられなくしようという魂胆が根底にあったように思う。14なんて本当、比べ物にならないくらい全てが優しい。そんな優しくない世界でも6~7年程居たと後で計算して判明した。「10年は余裕で居た気がしたが」と同じく11出身のフレに話すと「当時はログインしたら3時間くらいのプレイが当たり前だったからじゃない?休みともなると半日はやってた」と言っていた。濃さが違うんだな。

11はLSがコミュニティの役割を果たしていたが1個しか付けれなかったので、普段はFC的なLSを付け、零式固定のような活動に応じてLSを「付け替える」という感覚だった。その20年以上前(自分でもびっくり)のメインLSから付き合いのあるフレが、丁度ジュノが終わった後に会いに来てくれた。もう「11の時こんなことあったね」と話せるのはこやつしかおらんのやな…とエモにやられた所為で改めて感じ入り、「これからも宜しく」と伝えておいた。フレって有難くて、いいものよね。

@kaguya_licht
その辺にいるモブゲーマー