また同人活動を始めたよ

kagyuu
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公開:2026/1/16

2025年8月17日、インテックス大阪の同人誌即売会にサークル参加した。サークル参加は実に6年ぶり。同人誌即売会なんて50年くらいやること変わっとらんだろうと思いきや、コロナ禍を挟んだことにより細かく色々変化しており、自分の浦島太郎ぶりに困惑している。

この年の春頃までは、持ってる漫画も絵を描く道具も全部処分しようと思っていた。「筆を…折る…!」みたいな劇的な感情ではなく、まじで6年間ほぼほぼ絵を描かず、漫画もそれまでの贔屓の作家の新刊を見かけたら買う(自ら情報は追いかけない)くらいの感じになっており、二次元関係の興味がほぼ死んでいたからだ。電子の世界でなんでもできる昨今、本は嵩張る。仕事でもないのに絵を描く必要性もそんなにない。いらないものは捨てて部屋をすっきり掃除しやすく改造しようと本気で思っていた。

6年間何をしていたかというと、仕事をしていた。私の仕事はグラフィックデザイナーである。この仕事についたのは7年前だ。それまでは事務員をしていた。

私は美術系の学校を出ていない。そういう学校に行く子は子供の頃から町中にその名が轟きわたる神童であってお前のような凡人がいく学校ではない、と親に言われていた。私はお絵描きと読書が好きな、今で言うと発達に何かあるタイプの、興味や能力が非常にアンバランスな子供だった。それとは逆に、スポーツと勉学を愛して何事もバランス良くこなし、自分のことよりも家族の面倒を真っ先に考えるような「娘」が両親の理想だったので、彼らは常に私の気質の矯正を目指していた。どうしてそんなことをするの?お願いだから早くまともな人間になって、と言われ続け、私は「好きなことは、趣味でいいです」と言い、自分で自分の進路を決めることを諦めた。

そこからなぜデザイナーになったかというと、事務員に死ぬほど適性がなかったのと、このまま親と関わってると一生親の理想叶えマシーンとして「好きなことは趣味に」レベルの尊厳すら守れなさそうと思う出来事がいくつかあったからである。

親が認めてくれるような才能の芽を子供のうちに出せなかったこと、それゆえ視覚表現系の職業とは無縁の経歴しかないことは負い目としてずーっと尾を引いた。実際、私に誰の目にも明らかな才能があるかというと、そんなことはないので、「そりゃ、親御さんの言うことが正しいよ」みたいなことをよく言われる。あと「別にそういう学校に行かなくてもデザイナーくらいなれるよ」とか「人の評価を気にしすぎだよ」とか。そうですね、その通りだと思います。だが、「何かを好きになったりやりたいことをやるには、人(この場合は親)に認められたり、成果を上げないとその権利が与えられない」という状況に長くいた結果、その状況から脱することができてもなかなか自分の認識を改められないことが精神的にしんどかった。少しでもこの状況を変えられないかと思って始めたのが、子供の頃から憧れていた二次創作の同人活動である。並行してデザインの勉強と転職活動もし、死ぬほど時間がかかったが、デザイナーになった。

肩書きの力は大きい。学歴や肩書きがなくてもよいものは作れるのだ、というのも真実ではあるが、自分より技術のある人からのフィードバックや、専門知識や道具をいっぺんに手に入れようと思うと、やはり学校に通うかその業界に潜り込むのが一番近道だと思う。デザイナーという肩書きを名乗るからには、もうめそめそと経歴を気に病んでいる場合ではない。技術にお金を払ってもらってるのだから作るものが全て、という状況はわたしの精神的負荷を大いに減らした。クオリティを求めて努力するだけ、という状況のなんて息のしやすいこと。親の望むことと自分のしたいことの帳尻を合わせるために延々非合理な遠回りをしていた頃から考えると夢のようであった。

紆余曲折ありつつもどうにか7年間デザイナーとして働いた。業界の序列は未だよくわからないが、過去の自分から考えると結構華やかな仕事も、自分が憧れていた業界にも携わらせてもらった。お望み通り、他人に認めてもらえたのだ。創作意欲と承認欲求は仕事で満たされた。

若い頃スポーツに打ち込んでいた、バンドをしていた、だがしかし今はそれらには年数回触れる程度、という大人は多いのではないかと思う。仕事や家庭を持つとまぁそうなる。そして案外それは不幸ではない。若い頃にしたいことを思い切りできてよかった。あとは大人として仕事や家庭を守り、求められた社会的役割を果たして淡々と幸福に生きていく。

そう思っていたのだ。「トワイライト・ウォリアーズ」を観るまでは…

トワイライト・ウォリアーズの魅力はあらゆるところで色んな人が語っているが、私が思う一番の魅力は全てが過剰なところだと思う。かつて香港映画に求められていた、混沌・熱気・暴力・カンフー・男の友情、全てがぎちぎちに詰め込まれている。登場人物も全員男っぷりがよく、若者からジジイまで全員強い。数少ないネームドな女性キャラで、主人公をちょくちょく助けてくれる程度の出番の燕芬すら、宝塚の男役のような涼やかな美人で、きっぷがよくかっこいい。

この「かっこよさ・全部盛り」の極北が龍捲風だろう。香港の大スター・ルイスクーが演じるナイスミドルなイケオジで、九龍城砦を司る最強の男で、黒社会の人間だが女子供老人に優しく、右腕の若いイケメン・信一に慕われていて、でも哀しい過去があり──多い。要素が多いよ。しかもこれで肺を患っていて、時々苦しげに咳き込み血を吐く(が、心配させないよう右腕の信一にはそれを隠している)。かっこいい男の要素、全部盛りだ。日本の映画なら──というか私なら、ちょっとやりすぎてダサいかなとおもってやや要素を差し引くだろう。でもトワウォは差し引かない。かっこいいものはいっぱいあったほうがかっこいいからだ。貪欲。その貪欲さそのままに、エネルギッシュに2時間強を駆け抜けていく。なんてパワフルさだ。

そもそも九龍城砦という場所がエネルギッシュだ。「あの巨大な迷宮は戦争のためでもないし、王家の威厳を示す為に築かれたものでもない。人々の暮らしの集積。」というジロウ先生(@jiro6663)の言葉にあるように、貧困や政治的問題で難しい立場に置かれた人たちの生活によってできた場所だ。困難な立場に置かれても働き、飯を食い、子供を学校にやり、酒を飲んで映画を見て、生活を良くすることを諦めなかった人たちの人生の集積。原作者の余兒先生が執筆のきっかけとして語っていたが、違法薬物が売られている一方で、薬物依存者を救済するための慈善団体も活動しているような場所である。その清濁が混在した生命力の強さみたいなものに私はガツンとやられてしまったのだ。

かくしてわたしは見てしばらくは衝撃が止まず、頭の中がトワウォでいっぱいになった。そこから二次創作を始めるのに時間はかからなかった。そう、思い出したのだ。仕事として誰かに依頼されて作る行為では満たされない、自分の心から湧き出てくるものを形にすることでしか満たされない心があり、それができずにいたのが寂しかったことを…!

仕事とか家庭のような社会的に生産的だと言われる活動、以外の活動は基本的に若い人たちのものだと思っていた。特に表現系は。若い人たちの今しかない輝きや繊細さに価値があるのだ。

だがしかし、17歳の夏も、30歳の夏も40歳の夏も1度しかないというかけがえのなさでは同じである。その時々にしか見えないことがあり、残せない何かがあのなら、それを記録して残すことはとても価値があることではないか?

またいつ同人活動をやめるかわからないが、何年中断したとしても自分はもう筆を折ることを人生の選択肢に入れず、なるべく長く生活に寄り添う形で表現をしていけたら良いなと思っている。

余談

中断前最後に出した同人誌は確か宝塚ジャンルだった。オンリーワンサークルだったのでお隣は別ジャンルだったのだが、確かジャッキー・チェンのファンサークルで、ジャッキーの仕事に合わせてアジアのあちこちを巡ったレポ本らしきものを出していらっしゃったことを覚えている(買えばよかった!!!)。時を経て私も香港映画ジャンルですよ。ふ、伏線回収…?コロナ禍を挟みましたがあのサークル主さんはお元気かしら…

@kagyuu
耽美と退廃を愛する大人のおたく(ハロヲタヅカヲタ)の雑文置き場