絵を描くということ。そしてパリ。

yoko
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公開:2024/3/24

体調不良で、どーんと沈んでいたら、夫が絵を描いてきなさいと言うので絵を描いたり(素直)

音楽を流しながら、小さなスケッチブックに思うままに描く夕方。

絵を描くということは、わたしにとってなんだか瞑想のようなもので、インプットが多い忙しない日々の中で、没入して自分の中にあるものをアウトプットする数少ない方法でもある。文章を書くこと、歌うこと、楽器を演奏することもそうかな…。

おにぎり(とり)は、その後きちんと(?)わたしの腰をサポートしてくれてます。

最近寝る前にぱらぱらと読んでいるのはヘミングウェイの「移動祝祭日」。彼が晩年書いた、若かりし頃のパリの回顧録のようなもの。

もし幸運にも、若者の頃、パリでくらすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。 パリは移動祝祭日だからだ。

というのは冒頭に添えられた言葉で、友人に語った言葉だそう。遺作となった本作のためにこの言葉は彼の妻に伝えられ、そしてタイトルにもなったらしい。

むかし、一度だけ旅の途中で立ち寄ったことのあるパリは、豪華絢爛なイメージというよりは、どちらかと言うと「これがパリなのだ」という印象だった(煌びやかな側面もたくさんある街なのは間違いない) おそらくそれは短時間の滞在で目まぐるしすぎたせいもあるけれど。

結局のところ書物で、いろいろな人の、さまざまなパリの思い出を垣間見るのが読書家としての醍醐味なのかもしれない。

@kahvi
日々徒然。日本語を全然使わないので維持も兼ねて。