AIの進化とこれからの社会について、この1, 2年くらいぼんやりと考えることが増えた。それは、そういう仕事をやっていたり、そういう情報を発信する人間をSNSでフォローしているからというバイアスはあるが、多かれ少なかれある程度の人は考えていることだとは思う。
直接的には、AIの登場が仕事へのモチベーションに影響を与えている。私のようなジュニアレベルのエンジニアだと、従来自分が考えてコードを書いていた領域のある程度が、Tab キーを押して GitHub Copilot を呼び出すだけで解決するようになった。正しい出力を出せるようにコードを考えて入力することが、私の中ではとても好きだったのだが、そういう作業が AI でもできるようになると一気に萎えてしまった。
私は答えのある問題について考えることがずっと好きだったし、10代の時間はほぼそれに費やしてきたと言っても過言ではない。小学生の頃は国語、算数、理科、社会を、高校生の頃は英語、数学、物理、化学、政治・経済、倫理、現代文、古文・漢文を、満遍なく学習してきた。それは意味のある行為だったのだろうか?
もちろん、AI がどれほど進化したとしても間違えることもあるだろうし、人間が間違いに気づく必要があるという意味では、旧来型の勉強は役立つ。しかし、それを、難関中学や難関大学に合格するレベルにまで極めるという作業は、もはや時間の無駄だったと総括できるのかもしれない。
首都圏で暮らしていると、しばしば「学歴はMARCHあれば十分」というような言説を耳にするが、私もこの考えに近い。AI の出力を咀嚼するのにはそのあたりの大学に合格するリテラシーがあればもう十分で、そこから先は、特定の学問領域に対して専門性を深めたり、あるいは答えのない問題に対して自分で判断する経験を重ねたりした方が、今後の人生にとって有益ということだ。
とはいえ AI によって旧来型の勉強の必要性が減ったことにより、より人間が幸福になるかというと、そうも思えない。旧来型の勉強に対比されるのは体験型学習と呼べるようなものだが、それは、図書館や古本屋の参考書ではまかなえない、裕福な家庭の親だけが提供できる贅沢品である。その重要性が教育において増すのであれば、格差社会は今よりもますます進むであろう。